2024年5月24日 更新
#61
記憶にない夜。
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
…という曲が鳴り響く中、
二人の男がステージ上で歩み寄り、
固い握手を交わした瞬間、
脇坂工務店、創業30周年記念事業の
幕が切って落とされたのです。
2024年4月27日土曜日、札幌。
天気を操る男(自称)、脇坂肇の面目躍如と
言わんばかりの晴天。
春を感じる暖かさで、
ちょうど桜も見頃を迎えたタイミング。
いよいよ当社、
脇坂工務店の創業30周年を記念した事業が
Zepp Sapporoで開催されます。
こちらでご紹介しているように、
さまざまな点において、
常軌を逸した内容となっております。
これだけ奇想天外なことを決行するとなれば、
流石の私にも極度の緊張が襲って…
…こない!
思い返せば、創業20周年の時のこと。
道新ホールに落語家の立川談春さんを招いて
周年イベントを開催した際には、
昼食がノドをまったく通らなかったことを
鮮明に覚えています。
当時、私ははまだラジオ出演歴2年ほどの若手…。
場数が足りなかったせいか、ド緊張でした。
あれから、10年の時が過ぎ、
舞台度胸みたいなものがついたのでしょう。
その日は、いつもどおり朝6時30分に起床。
13時に会場入りして、関係各位に挨拶したのち、
13時30分からリハーサルが始まりました。
2人のディレクターと森さん、私の
4名でのリハーサルです。
進行を書き記した台本をもとに、
全体の流れを通しで確認。
各パートでの立ち位置のチェックなどを
進めていきます。
中でも一番力を入れたのがオープニングです。
ずっと「B● MY BABY」をBGMにして、
ステージの上手と下手から
私と森さんがにじり寄りながら、
歩を進めていくことを何度もやったんです。
この時点ですべて見通したあなたには、
脇坂肇検定準1級を授けましょう。
常識のある一般市民の皆さんは、
私が何を言ってるのかわからないでしょうから、
解説します。
私は、オープニングにすべてを賭けていました。
オープニングの出来いかんで、
その日のテンションや雰囲気が決まる…!
どうすれば印象に残るものになるのか…。
何か強いテーマというか、
モチーフみたいなものがあれば…。
鼻血が出そうなほど頭を悩ませた果てに、
ある大事なことに気付いたのです。
今回は、脇坂工務店の創業30周年の
イベントであると同時に、
盟友、森基誉則の復活祭じゃないか!と。
森さんといえば、私が出演した
AIR-G’の番組パーソナリティを
長年務めていた同志であり相棒。
政治の世界へ進むことを表明した2023年に、
彼はすべての番組を降板していました。
なので、このステージは、
AIR-G’リスナーの森ファンにとっても
待望の復活の場となるわけです。
これは大げさに言えば、
森さんと私という伝説の二人組の復活…
…はっ!
思いつきました。
C●MPLEXです。
ヤングのために補足しますと、
C●MPLEXとは、
元々1988年から2年間だけ活動した
布●寅泰と吉川●司によるスーパーユニット。
震災復興支援を目的に2011年に復活して、
東京ドームでライブをやっているんです。
その伝説のオープニングをパクる…
…じゃなかったオマージュしよう!
と閃いたわけです。
となると、
非常に重要になってくるのは、
どっちがどっちの役をやるのか?ということ。
何を隠そう、私はラジオ番組出演時に、
このC●MPLEXネタをやっていた
確かな実績があるんです(実績?)。
マイクがわりにペットボトルを持って、
「B● MY BABY」
をかけながらスタジオ乱入するというもの。
私は吉●晃司をやっていたつもりだったんですが、
ビジュアルを考慮すると吉川●司は森さんだな、と。
私は布●寅泰だろうと。
このあたりはデリケートなところですから、
クレームが来ないように
万全の配慮をしておかねばなりません。
まあ、布●ファンから
「私の好きなホ●イと似ても似つかない!」
というクレームが来る可能性は残っていますが…。
オープニングを完璧にやりきるために、
私も森さんも、
YouTubeで当時の映像を10回以上見ています。
私に至っては、家で観すぎたせいで、
妻から呆れられる始末。
彼女は全くC●MPLEXとかに興味がないので、
「また観てるの、モニカ?」
と言ってくるので、
「モニカじゃないよ!B● MY BABYだよ!」
という謎の夫婦漫才を繰り返したのも、
今となってはいい思い出です。
それほど再現にこだわったので、
上手から吉●=森さんが登場するのは当然です。
(あ、これも意味不明でしょうから、
YouTubeで当時の映像を見てみてください)
ステージのどのポジションで、
2人が握手を交わすかだって非常に重要な問題。
最初はステージの中央にバミっていたものの、
それだとベストな位置で
握手できない可能性があったため、
二人それぞれの立ち位置にバミることにしました。
あ、「バミる」ってのは業界用語で、
ガムテープで床に印をつけることですね。
というように綿密な打ち合わせを繰り返したため、
リハーサルでは、
オープニングの確認に一番時間を要しました。
もう忘れられていそうなので、
念のためにおさらいしておくと、
今回は30周年事業の話です。
けっしてモノマネ選手権に、
おじさん二人で出場した話ではありません。
そんなこんなで無事にリハーサルは完了。
17時、いよいよ本番が始まりました。
私の緊張のピークはオープニングにありました。
ここまで心血を注いだ演出ですからね。
よって、
ステージで森さんと固い握手を交わした瞬間、
私の頭の中には、
「完」
という文字が浮かんでいたような気がします。
これで周年事業のほぼ8割が終了したな…と。
正直、その後自分が何を話したのか覚えていません…。
(ひょっとして緊張していたのか、私は…?)
ただ、
B● MY BABYのリズムにあわせて
手拍子が自然と客席から沸き起こり、
Zepp Sapporoが一体となったのは確か。
あれで、あの日のチューニングが
ビシッと決まったのです。
あながち私の読みは外れていなかった!
なお、招待状を送った
取引先の人たち数名からは、
「本当にスーツじゃなくていいの?」
という質問を事前にもらっていたんです。
「いや、ぜんぜん平服で大丈夫ですよ」
といくら私が言っても、
「嘘だ!」
と誰も信じてくれず、
結局、弊社社員に確認していたとか…。
ほら、あれですよ。
「平服でお越しください」を真に受けて、
本当に普段着で言ったら、
周りのみんなスーツで赤っ恥をかいた
みたいなことを心配したんでしょうね。
それくらい、
この周年事業が謎だったんでしょう。
普通の会社の周年事業なら、
ステージ上でスーツを着た社長が原稿を片手に
「えー、本日は皆様、お忙しい中、
お集まり頂き、誠にありがとうございます。
弊社の創業はさかのぼること…」
てな挨拶をするイメージでしょうから。
「今日は一体何が起こるんだろう…」
と場内に充満していた不安や心配を打ち砕くための
B● MY BABYだったのです。
先程の質問をしてきた人たちも、
オープニングの時点で、
「あ、スーツじゃなくて良かった」
と思ってくれたはずです。
なにより、当の私がなぜか
サザンオールスタ●ズの45周年記念グッズである
ハッピを着ていましたし。
(サザ●の熱烈ファン、トッティとお揃いです)
もはや30周年なんだか、45周年なんだかわからない。
わざわざスーツで来場した人が、
怒って帰っていなかったか心配です。
服装といえば、当社社員の話もさせてください。
全員脇坂工務店のロゴマークが入った
ハッピを着用して参加していたんです。
当日は、記録映像を撮るため、
撮影クルーに入ってもらっていたんですが、
開演前に、彼らからの提案で、
脇坂工務店とグループ会社kai建築とワックの
全従業員がステージに上がり、
集合写真を撮影することに。
ずらり40名ほど並んだのですが、
「うちって、こんなに人がいるんだ…!」
と社長の私が一番驚きました。
ラジオに出演するなど、
私一人が表での活動を担っているためか、
「ひょっとして脇坂工務店って、
脇坂さん一人でやっているんですか…?」
と思われているフシがあり、
そうではないことを証明できたので良かったです。
決してどこかのモデル事務所から、
人を借りたわけではありません。
撮ってもらった動画は、
近日中に当社ホームページや
YouTubeで公開予定なので、
乞うご期待ということで。
さて、渾身のオープニング後の話です。
何を話したのか覚えていないので、
観客の一人、
コピーライターTさんの証言をご紹介しましょう。
「脇坂さん、森さんに向かって、
『オレにもっと喋らせろ!』
って言ってましたよ…」
……ん?
私が皆さんに送った招待状の挨拶文には
「あなたの声を聴かせてください。
話をさせてください」
って書いてあった気がしますし、
周年事業のタイトルは
「脇坂RADIO 肇の耳」
としたくらい、
「傾聴」を意識した内容にするつもりだったのに、
どうしてそんなことを口走ったのか。
おかしいですね、不思議ですね。
Zeppにいる魔物のせいでしょう、きっと。
私のかすかな記憶の中に残っているのは、
復活した森さんがとにかく生き生きしていたこと。
トークの絶好調さにジェラシーを感じた私は、
「オレにもっと喋らせろ!」
という発言したのかと…。
残りの断片的な記憶を探ってみると、
なんだか日本酒を飲んだような…。
…はっ!
思い出した。
オリジナル日本酒を作った話を以前しました。
その企画者である、
「銘酒の裕多加」の熊田さんに登場いただき、
ゲストの松尾亜希子さんと一緒に、
その場で試飲させてもらったんでした。
むちゃくちゃ美味しかったです、あのお酒は!
ラベルがまた評判良くてですね。
桜の花びらが30枚レイアウトされているんです。
(松尾さんが数えていたので間違いありません)
当然30周年であることにちなんでいるのですが、
もうひとつの由来は酒の名前にあります。
三千櫻酒造という
東川の蔵元に作ってもらったんですが、
「三千櫻」をもじって、
「三十櫻」と名付けたんですね。
三十周年ですから。
しかも、よく見ると花びらは、
たくさんの人たちが、
口を開けて会話しているようにも見えるデザイン。
つまり、周年事業のコンセプト
「もっと話したい」にかけているんです。
デザインは毎度お馴染み
スタジオワンダーさんによるもの。
素晴らしい!
来場された方全員に
一人一本、お持ち帰りいただきました。
若山象風先生の書が入った木札も添えて、です。
日本酒の試飲によって、
より記憶が定かじゃなくなってきましたが、
観客の様子は鮮明に覚えております。
リスナーさんの参加も募ったのですが、
想像以上の応募があり、
最終的に200名ほどをご招待したんです。
ありがたいですねぇ…。
アイドルを応援する時に使うデコったウチワを
持ってきてくれた方もいたなぁ。
しかも書いてあった言葉は、
「銭函の福山雅治」。
過去にラジオで
1,2回しか言ってないギャグを拾うとは…。
脇坂肇検定2級を差し上げましょう。
SNSをチェックすると、
みなさん楽しんでくれた様子が伝わってきます。
上がっているコメントも、
「脇坂社長の大ファンになってしまいました!!」
「脇坂社長、やっぱりすごい方です」
「脇坂社長かっこいい」
と絶賛。
あ、これ、ウソとか自作自演じゃないですから。
本当ですから!
自分のした話は忘れても、
当然、ゲストステージは鮮明に覚えております。
まず、ステージに上ってくれたのは、
アップダウンです。
彼らとの出会いは、
2019年のAIR-G’主催のパーティーでした。
余興のゲームの景品として、
「脇坂賞」を提供したところ、
獲得したのがアップダウンのお二人。
その縁あって、後日開催された
彼らの二人芝居公演を観に行ったんです。
それがもう素晴らしかった。
テーマが戦争という、
お笑いの世界とは馴染みの薄いものですが、
いっしょに観た妻とともに号泣。
以来、応援している二人です。
今回のステージでは、
当社にまつわるネタを絡めた
オリジナルの漫才をやってくれました。
立川談春さんの時もそうだったんですが、
落語家さんも、こういった企業の行事に出る際には、
その会社由来の噺を披露してくれるんですよね。
大工が出てくる噺、とかですね。
今回初めてアップダウンを観た人もいたはずですが、
きっちり会場を盛り上げてくれました。
さすがプロです。
私の次に話がうまい!
(嘘です)
もうひとりのゲストは、
シンガーソングライターの小澤ちひろさんです。
彼女には25周年の時と同様、
オリジナル楽曲の制作をお願いしておりました。
2023年6月頃に声をかけて、
制作に入ってもらったのですが、
そこには当社もちょっと絡んでいるんです。
というのも、
25周年の時に周年ソングを作ってくれた頃から
「銭函いいな〜、住みたいな〜」
と口にしていた、ちひろさん。
すると、その後ご結婚されて、
銭函の住民になったんですよ…!
もう、これで脇坂工務店とはご近所さん。
ならば、私たちが作ったKi-Qにある
当社事務所を使ってもらおうと思いつきました。
そこにはスタインウェイのピアノが置かれた
音楽室がありますからね。
まさにそのKi-Qでピアノを弾いてる時に、
今回の30周年の曲のアイディアが
降りてきたんですって。
楽曲のタイトルは、
「出逢ったあの日のように」です。
25周年の時の楽曲はアップテンポなナンバー。
かたや、今回は一転してバラードです。
私がAIR-G’のスタジオで
初めて聴かせてもらったのは、
周年事業の本番1週間前のこと。
3回リピートして聴いて、
私、3回とも泣きましたからね…。
銭函を愛する会社のために、
銭函で生まれた歌、っていうのは理想の形だなぁ…。
ちなみに、ギターソロが入ってるんですが、
私はそれを聴いて
「サザ●の「旅姿六人衆」を思い出す!」
と言えば、
AIR-G’の担当営業Yさんは
「いやいや、
B●atlesの「Let it be」じゃないですか!」
と反論し、軽く言い争いになりました。
楽曲を聴く機会がある方、
ぜひそういう細かなところまで気にして
耳を傾けてみてください。
さて、すばらしいゲストたちによる
ステージも終わり、いよいよラストです。
締めは、私のいつもの流儀でやらせてもらいました。
白Tシャツを着て、
赤いタオル首にかけてステージに上がったら、
もう何やるかわかりますよね…?
そうです、日本が誇る伝統芸能
アントニオ猪木さんの
「1,2,3、ダー!」です。
今回やるからには
徹頭徹尾ふざけようと思っておりました。
B● MY BABYから始まったから、
それ相応の締め方が必要だろうと。
だから、猪木さんなわけです。
私、高校時代から、
ずっと猪木さんのモノマネをしていた
アントニオ世代なものでして。
かつて札幌のイベントで、
アントニオ猪木さんから、
いわゆる「闘魂注入」されたことは密かな自慢。
また、私が敬愛するサザ●の桑田さんも
ライブでよく披露している定番の締め方なので、
間違いない!
なお、今回ご祝儀を各方面から頂戴しました。
気持ちだけでもう十分ですので、
ご祝儀はすべて、能登半島地震の復興に
役立ててもらうことにしました。
AIR-G’さんにお願いして、
現地のラジオ局、エフエム石川さんといっしょに、
何か有効な使い方はないか考えてもらっています。
さて、
一年以上かけて準備を進めてきた30周年事業。
無事に終わりを迎えることができました。
関係各位のおかげです。
誠にありがとうございました。
ただ、今さら、
ある重大な事実に気が付きました。
それは、来場された人たちは、
こんな疑問を抱えたまま、
帰宅の途についたんじゃないかと…。
「で、脇坂工務店は30年間、
一体何をやってきたんだろう…?」
2時間を要して、
会社のことがさっぱりわからない周年事業って
斬新…!
こりゃ、わかってもらうためには、
来年も「31周年記念事業」を
やらないといけないのでは!
ほら、何かが聴こえてきませんか。
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー
脇坂肇