2024年2月26日 更新
#58
常軌を逸した周年事業。
ライブに行くと、
「声出せるか〜、東京!」
とか
「札幌、今日は来てくれてありがとう!」
とか、アーティストが観客に向かって、
都市名や地名で呼びかけるじゃないですか。
それに応えて観客は盛り上がり、
ステージと客席が一体になる。
ライブならではの光景です。
普段、一般人が都市名を口にしても、
あそこまで盛り上がりません。
(そりゃそうだ)
しかし、とうとう私にも、
その言葉を口にできるチャンスが来ます。
それは、アーティスト垂涎の
あのライブハウスのステージに立つ
2024年4月27日…!
ついにラジオで情報解禁をしました。
当社、脇坂工務店の
創業30周年記念事業についてです。
その名も「脇坂RADIO 〜肇の耳〜」。
概要をさらりと紹介しただけなんですが、
リアルタイムでなかなかの数のリスナーさんが
当社WEBサイトへアクセスしてくれました。
注目度の高さが伺えます。
皆さん、ずっと待っていたのでしょうねぇ…。
え、ここまで何を言っているか、
さっぱりわからないですって…?
脇坂RADIO?
ラジオでも作って配るのかって?
なるほどなるほど。
周年事業なのに斬新すぎますから、
理解できないのは無理もありませんね。
これはですね、当社の周年事業として、
ZEPP SAPPOROで一日限りのラジオ局をやります、
ってことなんです!
…余計わからないですか。
わかりました、順を追って説明しましょう。
まず申し上げたいのは、
脇坂工務店は周年事業に、
尋常ならざる力を注いできたという歴史です。
脇坂工務店は、というか、
脇坂肇は、ってことですね。
最初にがっつりやったのは
創業20周年のタイミングです。
事業内容のシフトが功を奏して、
会社のステージが上がり、ちょっと背伸びすれば
道新ホールを借りて何かできるぞ、
となったんです。
そこで企画したのが、
落語家、立川談春さんを呼んで、
落語会をやってもらうという超贅沢なイベントです。
今やチケットがとれない、あの立川談春さんですよ。
黙って撮影カメラをたくさん入れておいて、
DVDを作っておけば良かった。
今頃高値で売れたでしょうに…。
あ、これ、法に触れますね。
続いて創業25周年。
この時は、
脇坂工務店のイメージソングを作りたい!
という私の長年の夢が形になりました。
「この●、なんの●、●なる●〜」
(法に触れないよう配慮しています)
みたいな企業のイメージソングをつくって、
CMなどで使うのが憧れだったんです。
当時、一緒にラジオ番組をやっていた
DJの森基誉則さんに
そんなイメージソングを作りたい旨相談したら、
「それなら、彼女が適任だと思いますよ」
と推薦されたのが、
シンガーソングライターの小澤ちひろさん。
AIR-G’さんの力を借りて、当社のための一曲
「I love my family」
を彼女に書き下ろしてもらいました。
(わかる話#17「そして、踊る社長。」
で当時の経緯を紹介しています)
その曲のお披露目ライブを
20周年と同じく、道新ホールで開催しました。
なぜか私がステージで踊るハメになったのも
今では懐かしい思い出です。
「脇坂社長って、動けるんだ…」
と一部の業界筋では伝説になっております。
マイケル・ジ●クソンが
開演直後120秒間微動だにしなかった
ブカレストでの伝説のライブとは真逆ですね。
脇坂肇は動きまくり、みたいな。
そういえば、最近聞いたのですが、
とある企業さんが、
この「I love my family」をラジオで耳にして、
「うちのCMでも、こんな素敵な曲を使いたい!」
と小澤さんに楽曲制作を依頼したとか。
こういう話は我がことのように嬉しいですねぇ。
「当社が彼女に作ってもらった曲が
きっかけってことなら、
うちにきっちり話を通してもらわないと…」
とかなんとか難癖をつけて、
間に入ってマージンをとったりはしてないので
ご安心ください。
といった、力の入れようだったので、
2024年4月に迎える
30周年も当然のごとく力を入れなければ!
と思って、
25周年終わった翌日くらいから
「30周年どうする?どうする?」
と前のめりでフガフガ言ってました。
周囲から、
「待て待て、どうどう」
と犬のようにたしなめられること4年近く。
2023年1月、ラジオ関係者との会食の席から、
ようやく30周年事業の話が具体的になっていったのです。
会食で私とテーブルを囲んだのは、
前述のDJ森基誉則さん、
銘酒の裕多加(ゆたか)さんの熊田さん、
AIR-G’の営業Yさんです。
その夜、すぐに決まったのは、
30周年を記念して、
オリジナルの日本酒を作ることでした。
裕多加の熊田さんが懇意にしてる酒蔵に依頼すれば、
オリジナルのお酒が作れるとのこと。
森さんも日本酒に詳しいこともあって、
話は盛り上がりました。
30周年にふさわしいラベルにすれば、
いい記念になりますし、
来場者にも喜んでもらえそうです。
「いいじゃないですか、社長」
「ここはドーンと大量に作りましょう」
「めでたいから金粉を入れまくりましょう」
出席者のみんな、
好き勝手なことを言っていた気がします。
お酒の勢いって怖いですね。
(金粉は入れません)
熊田さんから、
「この酒蔵さんに依頼しましょう」
と名前があがったのが、
東川町にある酒蔵、三千櫻酒造さんです。
よくよく名前を見つめると、
何かに気づきませんか。
そうです「三千」という漢字です。
「三千」から棒を一本外すと、
「三十」という字になるじゃありませんか。
三十周年の当社と、
どことなく不思議な縁を感じて、即決です。
つくるのは純米大吟醸の日本酒。
いつもお世話になっている
アートディレクターのN氏に
オリジナルラベルをデザインしてもらうことにしました。
詳細は手にしてもらうまでのお楽しみ…
なんですが、
ここでちょっとだけネタバレを。
そのお酒にはオリジナルの木札を添える予定なんです。
基本的に酒瓶は“消え物”。
飲み終わったら処分されてしまうものなので、
せっかくなら残るものをセットしよう、
という話になって、木札を作ることにしました。
お守りみたいに、
とっておいてもらえることをイメージしています。
(神社で祈祷もしてもらう予定です)
我々は工務店なので、
木は仕事でいつも使う馴染み深い素材。
当社には木工所もありますので、
うってつけでしょう。
当然、その木札にはデザインを施すのですが、
片面に、書家の若山象風先生の書を入れます。
20周年、25周年の時には、
ステージ上で書のパフォーマンスを
先生にやっていただいていたんですよ。
当時書いてもらった書は、
いまだに事務所に飾っております。
でも、30周年の今回のステージに、
先生は立てません。
2022年に亡くなられたのです。
30周年を迎えた当社を、
先生に見てもらえないのは寂しい限り。
せめて先生の書を皆さんに見てもらいたい、
という気持ちから、木札のことを思いつきました。
で、どんな書なのか、ってことですが、
それこそ、当日受け取った方のお楽しみ、
ということにしておきましょう。
日本酒は1000本つくる予定です。
日本酒ってイチから仕込むとなると
当然時間がかかるので、
1年以上前から製造を決められたのは
良かったです。
…あれ?
ところで、当日は何をやるんだっけ…?
日本酒の配布イベント…???
いや、ちがう。
そんな混乱した私が相談したのは、
いつものクリエイティブスタッフです。
「30周年に何をやったらいいんだろう?
何かやらないと30周年が迎えられない!」
と言う私に対して、
コピーライターのT氏は
「別に何もしなくても、
30周年はやってくると思いますけど…」
と冷ややか。
私はそれを華麗にスルーして、
「こんな周年事業は嫌だ!」
ということだけは伝えました。
一般的な会社の周年イベントって、
会場はだいたいホテルの大きなホールで、
みんなスーツにネクタイで参加していて、
会社の歴史をまとめたムービーを見せられて、
社長さんの苦労話を聞かされる…。
「話長いな、早く乾杯してよ…」
と出席者一同、内心思っているみたいなやつです。
あ、もちろん私が参加したことのある
周年パーティーの話ではないですよ…。
一般的なイメージについて話をしております。
ええ、あくまでイメージです。
20周年や25周年のことをT氏も知っているので、
それを踏まえて、彼がコンセプトや
アイディアを出してくれました。
持つべきものはコピーライターです。
そんな彼から出てきたのは、
「ラジオ局をやりましょう」
というアイディアでした。
一瞬、AI●-G’さんを買収しようっていう
提案かと思いましたよね。
30周年を機に、目指せメディア王!みたいな。
T氏の理屈はこうです。
脇坂工務店は「話のわかる工務店」
というスローガンを掲げて、
無事に30周年を迎えようとしています。
つまり仕事の前提にあるのが、
「話をする」ってことなんですよね。
数え切れないほどの会話を重ねて、
お客さまのありとあらゆる気持ちを汲み取り、
「わかりますわかります」と連呼しながら、
家を建ててきたわけなので。
ただ、30年もやっていると、
人間どこか驕りみたいなものも出てきます。
つまり、話がわかった気になったり、
こちらの話が伝わっていると思い込んだり。
相手の声に、
真摯に耳を傾けなくなっているのかもしれない。
だから、この周年を機に、
今一度相手とちゃんと向き合って話そう
という意志を込めて定めた周年事業のコンセプトは
「もっと話したい」。
となると、脇坂肇にとって
話す場としてふさわしいのは、
やっぱりラジオじゃないか、
というのがT氏のアイディアです。
いい!
なんかちゃんと考えている風に見える!
(や、私もちゃんと考えています)
とはいえ、普通にラジオ特番をやっても
よくある話になってしまうので、
「脇坂工務店が1日限りのラジオ局をつくる」
という体裁でイベントをやることにしたのです。
こんな話をT氏としていたのが
2023年の春頃。
以降、プロジェクトの進捗は加速していきます。
ラジオ局をやる、というアイディアを
具体的にする作業が始まりました。
まず、場所を決めなければなりません。
「道新ホールは制したわけだから…
次は札幌ドームかなぁ。
エスコンフィールドでも可。
あ、東京ドームという手もあるし、
まあ武道館でもいいかな」
とか私が口走っていたら、
周囲からはやんわり
「あなたは何を言ってるんですか」
とはっきり言われて、
最終的にZEPP SAPPOROとなりました。
まあ、この時点でおかしいですよね。
だって、2024年2月には、
もはや世界的スターになりつつあるYOAS●BIが
ライブをやっていた会場ですからね。
つまり、私の前座をY●ASOBIが
やってくれたと言っても過言ではありません。
他にもZEPP SAPPOROでライブ実績のある
ミ●チル、B●z、ドリ●ム、サザ●オールスターズも
すべて私の前座だったということになります。
皆さん、場をあたためておいてくれて、
ありがとうございます。
場所が決まれば、
自ずとやるべきことが次々と出てきます。
ステージデザインや、
ラジオ局としての「番組」の中身、
皆さんへ送る招待状の制作等々。
言うなれば “開局準備”です。
私、一応社長だと思うんです。
大企業の社長ではないですし、
会社の営業を一手に担っていることもあって、
それなりに忙しいんですよね。
普通、こういった周年事業は担当者を決めたら、
協力会社の皆さんに、
「じゃあ、あとはうちの担当者とよしなに〜」
と伝えて、任せてしまうものです。
でも、今回は担当を立てなかったばっかりに、
「招待状のデザインはこれでいいですか?
何枚刷ります?納品先は?
見積もりはこれです。
なる早で回答ください!」
とか
「ステージのデザインはこれでいいですよね?
ね?ね?」
とか、
クリエイティブを担当してくれる
コピーライターT氏や
アートディレクターのN氏、
ラジオ局の営業、
裕多加の熊田さんなどなどから、
鬼のような数の連絡が社長の私に来るんです。
だって、
「周年事業、誰に頼もうかな〜」
と聞こえるようにつぶやきながら、
社内を見渡しても、
誰も私と目をあわせてくれないんですから。
ええ、みんな忙しいのはわかっています。
そこで、やむなく私が矢面に立つことになった次第です。
ただ、このフォーメーションは
案外上手く機能していまして、
プロジェクトはスムーズに進行中です。
私、一応社長なので、その場で決められますから!
あとは、信頼する皆さんに任せるのが
一番威力を発揮するよなぁと思っています。
餅は餅屋ですよ。
もし誰か担当にして任せていたとしたら…
を妄想してみました。
当日会場に行っていたら、
「プロフェッショナル 仕事のなんちゃら」の
中島み●きの曲が流れ始め、
「脇坂工務店 30周年の歩み 〜次の肇、はじまる〜」
みたいなスライドショーが始まっていたことでしょう。
「社長に斬新なアイディアを通すの大変そうだし、
きっとめんどくさいことになるから、
無難に普通の内容でいこう…」
と担当者が決めて、
ベタベタなものになっていたはず…。
まあ、「次の肇、はじまる」は無難じゃないか。
招待状も凝ったものを作っています。
コピーライターとアートディレクターの
コンビを前にして、
「白い封筒の味気ない招待状にはしたくないなぁ」
とうっかり言ってしまったのが、運の尽きでした。
彼らがフルスイングして出してきたのは、
たった1日のイベントに使うには
もったいないほどのデザイン案。
徹底的にやる二人ですから、
このままいくと、
「スピルバ●グを呼んで、
会社の歴史を映画化しましょう」
とか言い出しそうだから怖い。
あ、主演は最低でもトム・クル●ズでお願いします。
それにしても、
当社のような中小企業が
こんなことを実現できるなんて…と
感慨深いものがありますねぇ。
2024年4月でラジオは12年目に突入します。
AIR-G’さんが全面協力してくれなきゃ、
こんなことはできません。
ラジオを長年続けてきた結果だと思っています。
関わってくれる人には感謝ですね。
というわけで、
これを読んでいる方は、
必ず2024年4月27日土曜日を
あけておくように(命令)。
「え、取引先とか関係者しか参加できないんでしょ…」
と思った、そこのあなた!
大丈夫です。
私、太っ腹なんで、
AIR-G’さん経由でリスナー招待枠も用意しました。
放送で告知されるはずなので、要チェックです。
ただ、脇坂工務店で家を建ててくださった施主さんや、
リフォームや不動産売買で
お世話になったお客さまには、
招待状をお送りしないんですよね…。
本当に全員にお送りすると、
ウッドストックばりの
野外会場でやる規模になるので…。
すいません!
まだ当社、そこまでの力量がないです…!
もちろん、このわかる話を読まれて、
「へー、ちょっと顔出してみるか」
と興味を持って頂いたお客さまには
招待状をお送りしますので、
私や会社までご連絡いただければと!
あ、りょ、旅費や交通費は
自腹でお願いします…(小声)。
当日の出演者をチラッとお伝えします。
DJを務めるのは私、脇坂肇と、
「アニキ」から
今や「センセイ」と呼ばれるようになった、
喋りの上手な某政治家。
4月27日が、
彼の政治家生命が絶たれた日にならないよう、
私は気をつけてトークしなければ…。
ゲストには、
AIR-G’リスナーにはお馴染みの面々が登場します。
あの人とか、あの人とか。
さらには、あのコンビも登場するとかしないとか。
もちろん、今回もあのアーティストに、
オリジナル楽曲を作ってもらいましたので、
当日ライブでのお披露目があるとかないとか。
もう盛りだくさんです。
でも、まだ未確定なコンテンツが
ひとつあるんですよね…。
2019年4月に、
道新ホールでの25周年イベントが終わった後、
周りから散々聞かれたのは、
「次の30周年は何をやるんですか?」
という質問です。
25周年であれだけのことやったんで、
皆さん、次どうなるのかが気になる、
いや不安になったのでしょう。
聞かれるたびに私は、
「桑田K祐を銭函に呼んで、
ゲリラライブをやってもらいたい!」
と口にしていたのです。
冗談ではありません。
彼の所属事務所である
アミュ●ズに近い知り合いがいるので、
本当に話を持ちかけたりもしていました。
本気と書いてマジです。
が、いまだになんの音沙汰もありません…!
や、大丈夫です。
2024年は30周年イヤーですから、
まだチャンスはあると思っています。
というか、
2024年4月27日のZEPPで
それが起こるかもしれません。
ゲリラライブが…。
これを読んだ桑田K祐様、
ご連絡お待ちしております。
脇坂肇