「話のわかる工務店」がわかる話

お客さまとの話。職人との話。取引先との話。地域の話。お金の話。家づくりの参考になればと思い、「話のわかる工務店」がこれまで語って来なかった話をご紹介します。これで脇坂工務店のことを少しでも知っていただければ幸いです。

脇坂肇

2023年7月24日 更新

#51

フンドシがつなぐもの。

脇坂肇

今まで黙っていたのですが…
…私…
私…フンドシを締められるんです…!
その理由は、
かつて相撲部屋に入門していたから…
ではなく、
宮沢●えのようにフンドシ姿で
写真を撮られたから…
でもなく。
神輿を担いでいたからに他なりません。
あの頃の私はまだまだボウヤでした。
フンドシを締めることで、
一丁前の大人の男になったと感じたものです。
そんな布とともに
1990年代終わりに始まり、
2023年夏にひとつのフィナーレを迎えようとしている
一大叙事詩を、今回はお届けします。

輿

2024年、めでたく脇坂工務店は
創業30周年を迎えるわけですが、
会社を起こした当初は、
そりゃもう仕事ばかりしていました。
24時間どころか、
体感的には27時間くらい働いていた気がします。
まさに一人ブラック企業。
しかし、ほんの少し仕事が軌道にのってきた頃、
ふと気づいたんです。
「あれ…?
仕事ばかりしているせいで、
ひょっとして私は世間を知らない…?」

当時の年齢なりに
自分に足りないものを感じたんです。
このままだとつまらない大人になってしまう。
仕事と関係ないことを何かやらなきゃマズいな…
と思っていたタイミングで、
ちょうど声をかけてもらえたのが、
信用金庫が主催する異業種交流会でした。
1997年頃の話です。
メンバーは私と比較的歳の近い世代の経営者が多くて、
200人くらいいたかと思います。

この交流会で主に行われていたのが、
イベントだったり著名人の講演会だったりを、
各部会にわかれて企画開催すること。
会員から集めた年会費が活動資金です。
数十万円ほどの予算が部会に割り当てられて、
何をやるのか?というところから、
みんなで話し合って決めていました。
そこで友人が何人かできましたし、
落語の会を企画することに関わったおかげで、
落語と出会えたことは人生の大きな転機に。
こちらエピソードで紹介している通り、
落語家さんとの付き合いが
生まれたきっかけでもあります。
そして、もうひとつ生まれた縁が神輿(みこし)です。

「落語家を呼んで、落語の会をやろう!」
と言い出した異業種交流会のメンバーから、
ある時、
「脇坂さん、神輿を担いでみない?」
と誘われたのが事のはじまり。
彼は札幌の神輿会である
「北海睦(ほっかいむつみ)」
に所属していたのです。

神輿を担ぐなんてのは、
まったく馴染みない世界。
とはいえ、私の仕事柄、
神様とはゆかりがあるわけです。
ほら、地鎮祭や上棟式って
土地の神様にお祈りするんですよね。
無事に工事が執り行われますように、とか。
あと、もともと神社仏閣は好きでした。
なので、これはなかなかできない経験だし、
いっちょやってみるか!
と神輿会の一員になったのです。

信金の異業種交流会以上に、
北海睦は異業種交流の場でしたねぇ。
運送会社をやっている人もいれば、
建築関係の人もいたりと、
会社の経営者は多かったです。
「一体普段何やっているんだろう…?」
みたいな人もいましたし、
本当にいろんな人がいました。
共通して言えるのは、
みんなカッコいい大人だったんですよ。
ハナタレの脇坂肇から見ると、
みんなカッコいい大人に見えたんです。

どのくらいカッコいいのかといえば、
フンドシを締めてもカッコいい
とでも言いましょうか。
神輿を担ぐといえば、フンドシ姿がつきものですが、
馴染みがないと恥ずかしいじゃないですか。
え、あの格好を私もするの…?
一人だけ海パンとかじゃダメですか?
とか思いつつ、
北海睦の諸先輩たちの着こなしを見ていると、
カッコよく見えてくるのです。
締め方の手ほどきを先輩たちから受けて、
自分でもやってみると、
おお、なんだか大人の階段を一段上がった気がする!
そんなことをしているうちに、
神輿会にすっかりハマっていったのです。

もともと北海睦は狸小路商店街の狸神輿を
担ぐために生まれた神輿会でした。
というのも、昭和40年代後半、
商店街の人手不足が深刻化し、
担ぎ手がいなくなるのでは、という状況だったとか。
そこで、狸神輿の復活を指導する集団として、
北海睦が結成されたそうです。
そのため、北海睦は自分たちの神輿を所有しておらず、
私の加入前から、
「北海睦の大神輿をつくろう!」
という一大プロジェクトが立ち上がっていました。
そこで集められた寄付金ウン千万円を元手に、
東京の会社に神輿の製作を
依頼することになったのですが、
新参者の私もちょっとだけ関わったんです。

製作を頼んだ先は種谷製作所という名門。
いわゆる宮大工の会社でして、
神輿だけでなく神棚のような、
神事にまつわるものを色々作っている
業界では有名な職人集団でした。
ちなみに、
神輿にも色々流派というかスタイルがあって、
北海道睦は江戸神輿。
なので、東京で神輿を作ってもらうのが
塩梅良かったんです。

そうだ、ひとつ思い出しました。
当時、私は会社に神棚を欲しいなと思っておりました。
でも、量販店に売っている大量生産のものは、
どうもしっくりこない。
でも、どこに頼めばいいのやら…
と思っていたところに
種谷製作所とのつながりが生まれたんです。
本物の神棚を作ってくれる人たちとなんて、
なかなか知り合わないですから貴重。
そこで、ついでにと言ってはなんですが、
私の会社用の神棚もそこに製作をお願いしたのでした。
神輿の費用に混ぜて、こっそりと…
ではなく、当然自腹です。
そんなことしていたら、
今ごろ、私は神輿になっています…。

神輿会という外の世界を知れたおかげで、
普通なら経験できないことを色々とさせてもらえて、
たくさんの人と交流もできました。
しかし、いかんせん本業が忙しくなり過ぎまして…。
神輿を担ぐのに命をかけている諸先輩方のなかには
「ちょっと風邪をひいて…」
と仕事先に仮病を使って、
神輿会を優先させる人もいたようですが、
さすがの私でもそれは無理…。

40代後半の頃、北海睦を退会したんです。

私が在籍当時の北海睦の会長は、
建築関係の会社を経営していたMさん。
15歳くらい年上の先輩で、
なんというかユーモアがあって、
憎めない感じの人でした。
私が北海睦を退会した後も、
「元気?調子はどう?」
なんて感じで、
Mさんはちょくちょく連絡をくれました。

2020年4月、
久しぶりにMさんから連絡がありました。
「あ、脇坂さん?
打ち合わせしたいから、
とりあえず頓宮に来てもらえる?」
札幌のバスセンターそばにある、
北海道神宮頓宮への呼び出しです。
ちなみに頓宮(とんぐう)とは、
「仮の宮」を意味する言葉。
かつて冬場の参拝が積雪などで困難になるから
という理由で、
円山公園そばの北海道神宮とは別に、
街中に近い場所に建てられたそうです。

それにしても、
Mさんはなぜ私を頓宮へ…?
詳細をまったく明かさずに呼びつけるってのは、
昭和の人特有の習性ですよね…。
とりあえず会おう、みたいな。
というか、神社に呼びつけられるって、
カツアゲされるシチュエーションじゃないですか。
ひょっとして…
「また子供神輿やるからさ、な!」
とか言われて、
「これで勘弁してください!」
とか言って財布を出さないといけないのか…。
(Mさんは良い人です)

若干の不安を抱きながら、訪れた頓宮。
境内に響くカラスの鳴き声が、
いつも以上に不気味に聴こえます。

「やっと神宮に奉納することになったんだよ!」
久しぶりに再会したMさんから語られたのは、
前述の20数年前につくった神輿のことでした。
種谷製作所に頼んで作ってもらった神輿を
北海道神宮に奉納することが、北海睦の長年の悲願。
神宮とはずっと協議を続けていたのですが、
このたび、めでたく合意が得られたとのこと。
この時点で、
私が神輿会を辞めてから15年近く経過しています。
ずいぶんと長い時間をかけて、
色々な話がなされたようでした。

馴染みがない人には、
このあたり不思議に思われるかもしれませんね。
せっかく自分たちでお金を集めて製作した神輿を
なんでわざわざ神社に寄贈するのか?って。
神輿会からすれば、
神社に寄付するのが誉れと言いますか、
非常に嬉しいことなんです。
実際のところ、
みなさんが目にする祭りって、
ほとんどが寄付とボランティアでできているんですよ。
ここだけの話。

ただ、寄贈されるほうの神社にも
もちろん都合があるわけです。
わかりやすいのは土地ですよね。
どこにその神輿を置くのかってことです。
また奉納した後は、
神社のほうで神輿の面倒を見なければなりません。
つまりメンテナンスが必要。
そのあたりに調整ごとがあったり、
諸般の事情があったりで、
時間が非常にかかったようでした。

神輿を作る段階から知っている私なので、
北海睦の念願が叶ったことは理解できます。
さぞや皆さん喜んでいることでしょう。
その嬉しそうな顔が容易に想像できます。
しかし、私は退会した身。
にも関わらず、今、頓宮に立っている。
眼の前にはMさん。
なぜでしょう、
無性に嫌な予感がするのは…。

よし、冷静に考えよう。
神輿を神社に奉納するということは、
どこにしまうのか…?
蔵のようなものが必要なはず。
蔵といえば木造建築、
木造建築といえば脇坂工務店、
脇坂工務店と言えば、脇坂肇…。
はっ!

Mさんは、
北海睦の神輿をしまう蔵を頓宮に建てて、
奉納する計画を話してくれました。
その蔵を建てるにあたって、
脇坂工務店に依頼することを考えていて、
工事費用の見積りを出して欲しいとのこと。
もう少し細かく言うと、
「形式上相見積りにしないといけないから、
そこに参加してよ」
っていう話でした。
こういった建物の場合、様々な人が関わるので、
やはり公平を期すために
相見積りをとるということですね。

競合となる相手の社名を聞くと、
かなり大きなところだったので、
うちが受注することは明らかでした。
なぜなら、
そのくらいの規模の会社からすると、
この蔵はかなり小さな仕事。
自社ではやってられないので下請けに出して、
そこに手間賃をのっけたりすると、
かなり高い見積りになることが一般的だからです。

まあ、ここまではある意味、
普通に仕事を頼まれたのと同じ。
それならば、この胸騒ぎはなんだろう…。
神輿会で何か作るとなったら寄付。
寄付といえば脇坂工務店。
脇坂工務店といえば脇坂肇の財布。
ハゥ!

「嫌な予感しかしないんですけど・・・」
と私が言うとMさんはニカッと笑って、
「うん、まあ、そういうことだ!」
としか言ってくれません。
神輿会として、
見積をとる作業の次にやることといえば、
寄付金集めなんですよね。
蔵の建築費用以外にも
何かとお金がかかってくるためです。
なんとなくMさんの視線が、
私のカバン(の中の財布)に
注がれている気がしてきました。

とはいえ、Mさんは
具体的な金額とか細かな話は一切してきません。
「察して、寄付してよ!」
という話ですね、これは。
空気読めよ、と。
金額の大きさによって、
私の大人度合いが試されているわけで…。
やっぱり、
これは新手のカツアゲなんじゃないか…。

しかし、そこはフンドシを締めて
神輿を担いで大人になった脇坂肇。
ひとまず寄付の話は華麗にスルーしつつ、
仕事の話を進めます。
Mさんの娘さんが
一級建築士を持っている方だったので、
彼女が設計、当社が施工という座組でいこうと
その場で決めて、
私は社内に指示を出し、見積り作成に入りました。
2020年の夏には見積りを提出。
そこからさらに、
あれやこれやと協議があったのでしょう。
正式に当社がやることに決まったのは2022年夏のこと。
ただ、その決定の連絡を私にくれたのは、
Mさんではありませんでした。

2021年にMさんは他界されたからです。

2022年秋。
私は2名の方と
飲み屋のテーブルを囲んでいました。
一人はMさんの後任として
北海睦の会長となったM2さん。
(イニシャルが同じなのでM2さんとしました)
もう一人は、Mさんから会社を継いだ、
Mさんの娘さんです。
2023年から、いよいよ蔵の着工というタイミング。
一度集まって飲みましょうか、
という流れから、その酒席が設けられたのでした。

そこで私はこんな話をさせてもらいました。
「蔵を建てる仕事は、
脇坂工務店としてお受けするわけですが、
逆に私は個人で北海睦に
寄付をしようと思っています」

Mさんが生前、
あの日、頓宮で屈託なく放った一言
「まあ、そういうことだ!」
に私は応えたかったんです。
少しでも足しにしてもらえればと思って、
実際に●00万円を寄付しました。
Mさんから話があった時、
「えー、北海睦を辞めているのに、
また寄付するのか…」
と心の中で思わなかった、
と言ったら嘘になります。
でも、Mさんが他界された状況で、
私はMさんからバトンを受け取った気がしました。
そのバトンを受け継いで、
後世に残すものにしていくというのは悪くないなと。

正直、私が北海睦に所属している時、
Mさんとすごく仲良くしていたわけではなく。
なんていうか、仲良くもなく仲悪くもなく、
みたいな関係性でした。
しかし、退会して物理的に少し距離ができると、
逆に少し心の距離が縮まると言いますか。
たまに連絡もらうくらいの
心地よいお付き合いでした。
皆さんにも、そういう人間関係って
多少なりともあるのではないでしょうか。

「まあ、そういうことだ!」
と私に言い残して、
颯爽といなくなってしまったMさん。
ご自分の死期が近いことが
わかっていたかのように、
蔵のこと以外も色々整えてから、
この世を去られたそうです。
あとは任せたぜ!って感じ。
ズルいよなぁ…カッコいいじゃないか…
って思います。

そうそう、
脇坂工務店という会社として、
今回の仕事で良かったことがあります。
当社は木工所を運営しているのですが、
世の中の流れをうけて、
和の建築の仕事は減る一方です。
その意味で、今回の蔵の仕事は、
木工所の70代の職人が存分に腕をふるえるものでした。
これはMさんの置き土産だなぁなんて思っています。

例年より早い春の訪れだった2023年4月、
脇坂工務店は工事契約を締結。
6月18日に地鎮祭をつつがなく執り行い、
同月19日に着工しました。
竣工は9月半ばの予定です。
8月にはいったら、
建物の形はかなり現れていることでしょう。
もし頓宮の近くを通りかかる機会があれば、
ぜひ御覧になってみてください。
あ、ちなみに雨が降っていなくても、
傘を持っていったほうがいいです。
カラスに襲われます。
先日、私は追いかけられました…。
あれもカツアゲだったのかもしれません。

神輿会に入って、
フンドシを締めたところから、
色々なつながりが生まれて、
結果、頓宮の蔵を建てることになるとは。
フンドシがつないだ縁ですねぇ。
そういえば、最近フンドシを締めていないな…。
はっ…!
まさかMさんの
「まあ、そういうことだ!」
という言葉は、
「もっとフンドシ締めろよ!」
ってことだったんだろうか…。
お祭り男としての心意気を忘れるなよって。
ならば、仕事中、
ここぞという時はフンドシを締めてみるか。
お客さまと打ち合わせする時も、
「いやー、実は今日フンドシでして」
と話を切り出せば、
一気に場を和ませられるはず。
Mさん、きっとそういうことですよね…?

ちがうか

脇坂肇