2023年4月17日 更新
#48
秘密のマップの秘密。
「銭函の地図を裏で操っている人物がいる…」
そんな噂を耳にしました。
物騒な世の中です。
ところで地図ってなんでしょうね。
私はあまりよく知らないのですが、
ひょっとして、
「OTARU
銭函の秘密マップ」
のことでしょうか。
Vol.1の発行は2013初夏。
持ち運びに便利なA5サイズで、
表紙を飾るのは鯨森惣七さんの描く
独特なゆるいイラスト。
銭函のお店やスポットなど、
ローカルの人しか知らないような情報を
一冊にまとめたフリーペーパーですね。
よく知らないわりには、
ずいぶんスラスラと情報が出てくるって…?
いや、まあ、その…。
今回の話のキーパーソンは二人の女性です。
SさんとSさん。
ダブルS。
ダブ●浅野のようですが、
紛らわしいので、
S1さんS2さんと呼びましょうか。
(余計ややこしい気もしますが)
当社の銭函オフィスが、
現在の駅前に移転する前のことです。
銭函の海岸沿いにあったオフィス1F部分は、
何かテナントが入っていたわけではなく、
イベントスペースのように使える空間にしていました。
面識のあったS1さんから打診があって、
彼女が企画運営を行うフリーマーケットなど、
各種イベントを不定期で開催していたんです。
まだ銭函にぜんぜんお店がなかった時代。
徐々に評判になって、
子育て世代の主婦の方を中心に
人が集まるようになってきました。
それを2、3年くらい続けた2010年ごろ、
私はS1さんに提案しました。
「これだけ人が集まるんだったら、
いっそ、ちゃんとしたカフェにしてみませんか?
別に毎日とかじゃなくても、
週3日営業でも週4日営業でもいいから」
と話したところ、
S1さんも「やってみたい!」ということで、
内装外装に手を加えて、
新たにカフェとしてオープンさせたんです。
その名も「ゼニバコ
スタイル カフェ」。
まだまだ田舎の雰囲気が漂っていた銭函に、
イマっぽい場所が生まれたから、
かなり存在感がありましたねぇ。
カフェという店舗の形にしたことで、
よりいっそうお客さんがついてくれて、
当社1Fは、どことなく
銭函のコミュニティスペースのような場に
育っていきました。
優秀なS1さんのおかげです。
そんなこんなで時が流れて2012年の秋口、
私は誰かと雑談していました。
誰だったのかは、はっきり思い出せないのですが…。
その時、彼から
「銭函には色々なスポットやお店があるから、
マップみたいなものがあったらいいんじゃないですか」
と言われて、ハタと気づきました。
確かに、そういう情報って
WEBで調べればわからなくもないけれど、
一冊にまとまったものはない。
それはいい!
そのヒントをくれた方、ありがとう。
大変失礼ながら、
私が思い出せないので名乗り出てください。
御礼をします!
…っていうと、
色んな人が「オレだ!オレだ!」って言いますかね。
それはさておき。
いいアイディアではあるものの、
私が自ら作ると、
財宝のありかを示す謎の地図みたいなものが
できあがりそうです。
どっちに進めばいいのか
まったくわからないようなやつ。
マズイ。
誰か形にしてくれる人は…
…いた!
S1さんです。
翌日、彼女に話を持ちかけてみると、
「え…!」
と驚いた顔をしています。
聞けば、S1さんは仲良しのライターS2さんと、
まさに前日、
「銭函の地図があったらいいよね。作りたいよね」
って話をしていたとか。
同じタイミングで、同じことを考えていたから
びっくりしたわけで。
S1さんからすると
天からのお告げに聞こえたらしいです。
たぶん、その時、
私の背後からまばゆい光が放たれていたはずです。
「じゃあ、S1さん、
一度企画書みたいなものにまとめてみてもらえます?
それを見て、会社として協力できることあれば
喜んで協力しますから」
と私が伝えたところ、
2013年の冬、企画書が上がってきました。
それを一通り見て私は、
「制作費の50%を脇坂工務店が出します!」
と即決。
(即決したあと、
数字のケタを数え間違えてないかな…
とちょっと不安になりましたが)
残りの制作費は小口の広告主を集めて補うという
形に落ち着きました。
ただ、私はダブルSさんにこう告げました。
「協力する代わりに、ひとつ注文があります…」
怯えた顔で私を見る二人。
「自分がモデルの巻頭グラビアでも
作りたがるのだろうか…」
「オレの話を聞け!
みたいなコーナーを欲しがるのだろうか…」
といった不安が頭をよぎったのかもしれません。
私が二人に出した注文。
それは、
「脇坂工務店が極力目立たないようにしてほしい」
というものです。
半分も制作費を出していたら、
普通なら通称「表4」と呼ばれる
裏表紙のスペースをもらえて、
そこに全面広告を出したりするものです。
いやいや、私はそんなものは要らないと。
全く逆で、
むしろ私の痕跡を隠してほしいとさえ、
お願いしたのです。
なんでそんなオーダーを出したかっていうと、
「あぁ、裏で脇坂工務店が操っているんだな…」
と思われるのが嫌だったんですよ。
ちょっと想像してみてください。
銭函を訪れた人が、
たまたま入ったお店でこのマップを手にして
「わー、銭函の地元の店が載っているマップだって」
「えー、なんか使えそう〜」
となって、ページをめくったら、
見開きページに突然、
歯●者の看板みたいなデザインで、
脇坂工務店の社名と私の満面の笑みが
デカデカと載っていたら、
そっとマップを閉じて、
「そろそろ帰ろうか…」
「そうだね…」
となる絵が浮かびませんか。
私には浮かびました。
このマップの目的は、
銭函をもっと好きになってもらうことです。
であれば、不純物を混ぜずに、
楽しんでもらえる要素だけで
構成したほうが絶対にいいはずです。
ん…?
誰が不純物だ…!
もし私がミ●キーマ●スくらいの人気者で、
「(甲高い声で)やあ、ボク、脇坂社長だよ!」
と愛想を振りまきながら銭函の道を闊歩すると、
「キャー!!!!!」
と人が寄ってくるくらいなら、
喜んで紙面に出るんですけどね。
私が耳をつけて銭函に現れたら、
「ギャー!!!!!」
と言って人が逃げ出しそうなんで。
そのあたりはわきまえている脇坂肇です。
このマップの認知度は
じわじわと高まってきていますが、
銭函の人たちでさえ、
当社がバックアップしていることを
ご存知ない方って多いと思いますよ。
にしても、なんでまた、
こんな変わった支援の仕方をしているのかって話です。
それは、私が二人の写真家から
影響を受けたからなんです。
ひとりは清水武男さん。
ドローンなんてなかった時代、
セスナを飛ばして、北海道の大自然を
航空写真で収めた写真家として有名です。
今、作品を見ると、
デジタルの力を使わずにこんな写真が撮れるんだ!
って、ちょっと衝撃受けると思います。
で、彼にまつわる
こんなエピソードを耳にしたことがありました。
道内のある町に、
日本を代表する某メーカーがあったのですが、
その社長さんが清水さんに、
こんなオーダーを出したとか。
「うちは海外で仕事をすることも多い。
だから、うちの町、ひいては北海道を
アピールするような写真集を作ってくれないか。
それを持って海外に行くから。
予算は1000万円でどうだろう?」
私もたまたま、その伝説の写真集を手に入れて
所有していた時期があるんです。
ただ、その本自体にはお金を出した会社のことが
どこにも書いていないんですよ。
この話を聞いて私はいたく感動しました。
ああ、会社の役割ってこういうことだ!って。
社会や文化的なものにお金をちゃんと使う。
自分や会社のアピールをするのではなく、
北海道そのものをアピールするなんて、
度量が大きいですよねぇ。
私が影響を受けたもう一人の写真家は、
佐藤雅英さんです。
北海道を代表する写真家の一人として有名ですね。
写真を趣味にしている私のお師匠さんです。
勝手にお師匠さんだと思っています。
佐藤さんの印象的なエピソードは、
北海道サミットにまつわるもの。
2008年に洞爺で開催されたサミットを、
「北海道を世界にアピールするチャンス!」
って佐藤さんは思ったらしいんです。
で、こんな行動に出ました。
写真家仲間たちに声をかけて、
北海道の風景写真を集めて一冊の写真集を作る。
そんなプロジェクトを立ち上げたのです。
完成した本を高橋はるみ知事(当時)に寄贈して、
世界の要人たちに渡してもらう、という計画でした。
もちろん写真集をつくるには、
制作費や印刷費がそれなりにかかります。
だから、プロジェクトの趣旨に賛同した
佐藤さんとつながりのある
経営者やビジネスパーソンなどが、
個々人のツテで写真集を売って、
その収益を本づくりの費用に当てようとしたんです。
今でいうクラファンのようなものですね。
もちろん私もお手伝いしました。
200~300冊くらいを売りましたよ。
これで全然売れなかったら、
ドヤ顔で「営業ってものはだね…」と
飲み屋で語れなくなりますからね…。
もう昔のことなので忘れましたが、
仲の良い人には、
「買いますか?買いませんか?」
ではなく、
「1冊買いますか?10冊買いますか?」
という二択を示して、
営業というより押し売りをしていた記憶が
あるような気がしなくもないです。
が、もう忘れました(キッパリ)。
別にこのプロジェクトで、
佐藤さんが経済的にトクすることはなかったはず。
むしろ、ご自分で費用を負担する、
いわゆる「持ち出し」だったんじゃないかな…。
北海道を世界に知ってもらいたい。
そんな大義に突き動かされて、
こういうことをやっちゃうあたりに、
私はビリビリと痺れたわけです。
そういう気持ちから生まれる制作物って
他にはないオーラをまとって生まれると思うんです。
そんなカッコいい先人たちの背中を追いかけるつもりで、
協力を申し出た「OTARU銭函の秘密マップ」。
私が効果として期待していたのはたったひとつ。
「銭函って素敵な街だな」
って思ってもらうことだけでした。
このマップが発行されて以降、
徐々に銭函の町は活気づいてきています。
Vol.1と最新号のVol.4を見比べると一目瞭然。
掲載店舗も増えています。
これこそが私の望んでいたこと。
銭函に活気が出てくれば、
自然と当社の建築ビジネスも活気づくわけで。
事実、2018年以降は
毎年銭函の家の仕事をご依頼いただいています。
それがマップの発行と因果関係があるのかを
証明するのは難しいですが、
私は確実にあると信じています。
だから、その効果を最大限発揮させるために、
私は自分の存在を消して、黒子に徹しているだけ。
別に聖人君子でもないんです。
すべてビジネスパーソンとしての計算なのです…!
ここで声を大にして言いたいのが、
マップ制作には、
全く公的なお金が入っていないってこと。
通常であれば、補助金とか助成金とか
使ってやりそうな内容です。
でも、こういうものって一度予算が厳しくなると、
行政はすぐにやめてしまいがち。
継続性がないんですよね。
それに引き換え、民間だけで取り組んで、
ここまで地道に媒体を育ててきたこと、
まちづくりにつながっているってことに、
大きな意味があるんじゃないかなぁ。
その一端に関われていることを誇りに思っています。
地道な取材・制作活動をしてくれる
ライターS2さんの存在はもちろん大きいです。
彼女はちょっとユニークな人物でして。
小樽出身なんですが、
銭函のことが好きすぎて、
誰に頼まれた訳でもないのに、
銭函を盛り上げるための企画書を
若い頃から書いていたとか。
私たちとは、
出会うべくして出会った感じがするのも、
胸アツです。
というか今気づいたんですけど、
前述の写真家のお二人もイニシャルがS!
ダブルSどころかクアドラプルS!
(トリプルの次はクアドラプルっていうらしいです)
怖い!
そんなS2さんから、
この秘密マップに情報が掲載されている
隣町の張碓でも、
変化が起きていることを聞きました。
なんでも張碓の小学校の児童の数が
増えているらしいんです。
彼女が同エリアで取材をした際には、
「移住者が多くて、
いい具合に田舎っていうところが魅力」
という声がちらほら聞こえてきたとか。
田舎って人間関係が濃すぎて、
移住者がそれに辟易して離れていくことが
よくあるとは聞きます。
それが張碓だと同世代の移住者が多くて、
皆さん同じような境遇だから、
程よい距離感を保てて付き合いができるのが、
いいらしいんですね。
また、「休みも大事にする」という時代の流れが、
銭函や張碓での暮らしにマッチしているのでは、
とも睨んでいます。
ほどよく田舎ってことは、
自分のペースでオンとオフを切り替えて
過ごしやすいですから。
(私はワーカホリックなので、あまりわかりませんが…)
あと、S2さんいわく、
銭函工業団地の存在も大きい、と。
つまり、子供が小学校にあがるタイミングとか、
子育てがひと段落したような人たちが、
もう一度働こうとした時に、
働き口があるかないかは、非常に重要。
銭函工業団地にある各社が
その受け皿になっているということです。
そこが小樽の街中で暮らすこととの大きな違いだと、
小樽っ子のS2さんが言ってました。
なるほど、一理あります。
銭函に実家がある若者から
S2さんが聞いた言葉がとても象徴的です。
「銭函が大好き」
と彼が屈託なく言ったとか。
昔だったら、
「おら、東京さ行くだ」
じゃないけど、
みんな一度は都会に憧れるじゃないですか。
今はそうじゃないんですねぇ。
時代の転換点にいることを、銭函で感じています。
移住者が増えたってことはですよ、
すごく大げさに捉えれば、
「OTARU銭函の秘密マップ」が、
実際の地図を塗り替えてきているってこと。
マップが地図をつくっている、と。
あんな小ぶりな一冊が、
そんな力を発揮してきたと考えると、
おもしろいもんです。
さて、コロナ禍を乗り越えて、
「OTARU銭函の秘密マップ」最新号Vol.4が、
4年ぶりにリリースされました。
地図部分だけは、
S2さんが関わるWEBサイト「小樽人」に
アップされています。
そこに配布場所一覧が載っているんですが、
よく見てみてください。
ほら、配布場所の最後のほうに
「脇坂肇」
という名前が載っていませんか。
私が常時持ち歩いているってことです。
見かけたら声をかけてください。
「やあ、ボク、脇坂社長だよ!」
と甲高い声で答えますから、逃げないでください。
逃げても追いかけますから。
脇坂肇