2022年7月22日 更新
#39
引退撤回。
お詫びをしなければなりません。
先日、こちらのエピソードで
威勢よくラジオからの引退宣言を
させていただきました。
しかし、諸般の事情により、
引退を撤回させていただく運びとなりましたので、
ここに謹んでご報告させていただきます。
軽率な判断を下したのは、
ひとえに私が未熟であるがゆえ。
全責任は私が負う覚悟でございます。
引退宣言によって、
世界とラジオ局をざわつかせ、
世界経済に影響を与え、
果ては皆々様を悲しみの底に突き落としたこと、
大変心苦しく思っております。
この度は誠に申し訳ございませんでしたッ!
え、誰も何も思っていないって?
またまた〜!
2020年4月、
荒木木工品興業という木工所を買収しました。
創業約50年ほどの会社です。
こちらのエピソードにその顛末は詳しいのですが、
会社を買収した目的のひとつは、不動産だったんです。
もちろん木工所としても魅力的だったんですが、
職人も少数で高齢の方が多かったですし、
場合によっては工場を移転して縮小し、
土地を売ればいいかなぁくらいに思っていたんですよ。
ところが、木工所の人たちと接するうちに、
私の考えが変わってきたんです。
脇坂工務店グループの一員となった時に、
荒木木工品興業に在籍していた職人は、
78歳のSさんと76歳のKさん、
そして30代が1名の計3人。
聞けば、Kさんは創業時からのメンバーだと
言うじゃないですか。
つまり50年間、この会社にずっといる
生き字引のような存在。
また、Kさんは工場のすぐそばに自宅を構えていて、
毎日徒歩通勤です。
恐らく、ずっと働くことを想定して、
職場そばに家を建てたのでしょう。
慣れ親しんだ職場が突然移転したら、
そんな人生の先輩たちが困るのは明らか。
現場の実情が徐々にわかってくるにつれて、
それは失礼だろ、脇坂肇!と
自分を叱りたくなりました。
というわけで、
ご本人たちが引退するまでは、
工場を移転しないと決めました。
となると、できるだけ長く
この場所でやっていくためには、
新しい人材が必要です。
そこで、求人をかけたところ、
40代が2名入社してくれました。
普通の話に聞こえますが、
これは業界としては奇跡に近いんですよ。
システム会社が求人を出したら、
「最近、ちょっと暇だから働きたいんですけど、
いいっすか?」
とビル・ゲイツが応募してくるのに近い。
いや、それは近くないか。
まあ、ともかくレアケースなんです。
そもそも人材の絶対数が少ない業界。
ましてや働き盛りの世代が転職してくるなんて
レア中のレア。
一人は、前職で
工場長クラスのポジションにいた即戦力です。
さらに、もう一人は私が出演しているAIR-G’の
番組を仕事中に聴いていたらしく、
「こんな社長のいる会社なら、
きっと面白いだろうと思って…」
と言って入社を決めた人。
私のラジオを聴いていたという事実だけで、
採用のハードルがものすごい下がりますから。
赤ちゃんでも越えられるくらいの高さまで
ググッと下がりますから。
逆に私のラジオを聴いていない人は、
超圧迫面接になります(ウソです)。
と、いうのが現在の状況。
そんな中、2022年のGW明け、
コロナも落ち着いてきたので、
ようやく新メンバーを含めて
木工所のメンバーみんなと一緒に食事ができました。
40代の二人が入社してから、
ちゃんとした歓迎会みたいなものが
できていなかったですからね。
会場は工場そばにある焼肉さん
そこで印象的な出来事がありました
40代の新入り二人が口をそろえて
「70代のお二人に全然技術で勝てない!
と言うのです
木工の世界にまだまだ疎い私からすると
40代の二人だって十分スゴイように見えますが
どうも70代のお二方は次元が違うらしい。
その技術力の象徴として、
たとえば「雪見障子」があげられます。
古い家の改修とかでたまに見かける
障子の種類でして、
下半分がガラスになっており、
外の景色、つまり雪景色を眺められるから
その名がついた障子です。
手間がかかる凝った作りなので、
北海道の職人で作れる人はいないもんだと
私は勝手に思っていたんですよ。
北海道には和室文化があまりないですから。
札幌の家で雪見障子を目にすると、
「ああ、本州から持ってきたのかな」
くらいに思っていました。
が、ある時、ひょんなことから、
Sさんが雪見障子を作れることが判明。
Sさん曰く、
彼と同世代の職人はだいたい作れたとか。
やはりベテランたちの経験値・技術力は、
ものすごいものがあるようです。
「Sさん、Kさん、
まだまだいなくならないでよ!」
なんて40代の新入りコンビは言っていて、
70代ツートップもまんざらでもなさそう。
なんだか会社として、
いい雰囲気になってきたなぁ、
と感慨深いものを感じました。
私がこの会社を買ったのが
土地目当てだったとは、
とても言い出せないくらい、いい雰囲気。
というか、懺悔したい。
「土地を売ろうとしていた
私をお許しください…」
と懺悔したい。
Sさんは、懺悔室を木で作れるだろうか…。
コロナの影響を受けて、
もともと木工所が手掛けていた
店舗や施設で使う建具や家具の需要は落ち込んでいます。
また、最近は既製品でも色々な選択肢があるので、
わざわざオリジナルで作ったりしなくなっています。
木工所単体で見ると厳しい状況かもしれませんが、
脇坂工務店のグループ全体で見ると違います。
グループ内での発注、
つまり脇坂工務店が建てる家に備えつける建具や家具を、
荒木木工が手がける、
そんなパターンがめちゃめちゃ増えたんですね。
脇坂工務店としては、
お客さまの要望に柔軟に応えられる
というメリットが大きい。
グループ全体では上り調子です。
ありがたや。
ちなみに、
先日はニセコである物件を手掛けました。
海外の方のセカンドハウス的な家だったんですが、
建具だけで●3●●万円ですよ。
ドアとかシェルフとかだけじゃなく、
キッチン全体の造作を含めて。
いやー、海外の方はスケールが違いますねぇ…。
そういう意味では、
日本の建具業界も高い技術力がありさえすれば、
まだまだ需要があるはず、と睨んでいます。
このように、
いまだに活躍する70代のツートップを見て、
自分の年齢について思いを巡らせる機会が、
最近増えていったんです。
親の仕事の関係で、
私は埼玉の高校に通っていました。
最近、当時の同級生たちから、
ちょいちょい電話がかかってくるんですよね。
先日なんて、
土曜日のお昼15時に電話が鳴って
嫌な予感がするなと思ったら、
案の定酔っ払いの声が…。
高校時代によくつるんでいた5人が
昼間から飲んでいて、
「脇坂に電話かけよーぜ!」
というノリでTELをかけてきたのです。
一緒に過ごしたのは、
もう40年以上も前のことですが、
いまだにこうやって連絡取り合える友がいるのは、
ありがたいこと。
ただ、彼らに対して、
私はちょっと腹の底に
モヤモヤしたものを抱えていました。
高校を卒業する時のことです。
みんな、大学や専門学校に進学したんですが、
かたや私は家庭の事情で進学できず、
札幌で就職した身。
正直、のほほんと学生生活を謳歌している
彼らが羨ましかった。
私も、テニスサークルとかに入って、
合コンというものをしたかった…。
そういうモヤモヤが当時はあったんです。
(や、合コンに執着していたわけでは決してなく…)
3年前には同じく高校の同級生と
埼玉の大宮で飲んだことがあります。
彼は大手化学メーカーの管理職になっていました。
酔っ払った勢いで、
「おまえ、いくらもらっているのよ!」
みたいな酒の席でよくある話題に。
内心「社長を甘く見るなよ…ふふふ」
と思っていたんですが、
額を聞けば意外ともらっているじゃないか…。
「脇坂、やっぱり社長がすごいな…!」
「いやー、それほどでも」
という会話の展開を予想していたのに。
しかし、
そんな彼も60歳手前で子会社に転籍となり、
年収が下がったなんてボヤいていました。
「定年後は実家の農家でも手伝おうかなぁ」
と語る彼。
そう、2022年度は私たちが、
みんな還暦を迎える年なんです。
私たちが還暦か…と
なんだかズーンと重いものを感じていた折、
TVから永ちゃんのCMが流れてきました。
彼はこんなセリフを口にしているんです。
「年をとるってことは、魂が老けることじゃない。」
あ、何この胸のうずき…。
ひょ、ひょっとして、言葉が刺さっている…?
いつもだったらCMを見ても、
「ああ、はいはいはいはい。
広告代理店の優秀なコピーライターが
書いたんですよね。
わかります、わかります」
と斜め上から分析するくらいに、
心が荒んでいるのですが、
このコピーは、
「ああ、私のために言っているコピーだ…!」
としみじみ思ったんです。
自分は精神年齢が、
ずっと40歳くらいのままだと
信じようとしているからじゃないかなぁ。
周りからどう思われようと、
自分自身としては、
そのくらい若くありたい、という心持ちです。
魂が老けない人といえば、
私が敬愛する桑田佳祐さんがいます。
最近の彼の活動にも非常に刺激を受けました。
桑田さんの同学年アーティストたちに声をかけて
リリースした楽曲
「時代遅れのRock’n’Roll Band」
ってご存知でしょうか。
フィーチャーリングアーティストとして
名前を連ねているのが、
佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎
というものすごいメンツ。
みんな桑田さんと同じ学年にあたる世代なんですね。
桑田佳祐さんは自分よりも7歳年上。
若い時はものすごい大人に見えたものです。
20歳にとっての27歳って大人に見えるじゃないですか。
ただ、60歳を迎える2022年というタイミングで
彼らの曲を聴くと、
年下である自分にもエールを送ってくれている感じが、
ものすごくするんですよねぇ。
「裏で誰かが糸をひいているんじゃないか…。
はっ、最近みんなが自分を見て
笑っている気がするのは、それか…!」
と陰謀論が頭をよぎるくらい、
今の自分に響く歌でした。
で、永ちゃんや桑田さんと比べるのも
大変おこがましいですが、
60歳の私なんて、まだまだじゃないか、
と思ってしまったんです。
50歳とか60歳とか、
ある程度の年齢になると、
「自分は、本当に社会から
必要とされているんだろうか…」
っていう想いが頭をよぎることがありました。
経営、ラジオ出演、営業と
一人で何役もやっていると、
「本当はそこまで必要とされていないのに、
なんだか全部にしがみついているみたいに
見えていないかな…」
って思う時があったんですよね。
まあ、実際にマイクを握ったら
すっぽん並みに離していなかったのかも
しれないですが。
あと、年を重ねて、
「同じ話を何度もしがち問題」に
直面すると、これまた
「もう、私は退場しないといけないのでは…」
と落ち込みます。
同じ話を繰り返していても、
気づいてないのは自分だけで、
周りは気を使って、
毎回同じタイミングで笑ってくれる。
でも、決して目は笑っていない、みたいな。
地獄じゃないですか、生き地獄。
そういうのは死んでも嫌なんです。
つまり腫れ物を扱うように、
大御所扱いされるのが嫌なんですね、私。
もし私が同じ話していたら、
「脇坂さん、その話53回くらい聞いてみますよ!」
とツッコんでほしい。
「じゃあ、54回目いかがでしょうか?」
と言いますから。
特に50歳の頃は、
「この歳で、こんなんでいいのかな…」
と思う時もありました。
それこそ、高校の同級生たちは、
みんな立派な会社で管理職とかやっているし、
後輩を指導したり、後進に道を譲ったりしている。
それに引き換え、私は…。
ラジオでオヤジギャグを連発したり、
笑いをとれたら小さくガッツポーズを決めたり、
ステージで踊ったりしている…。
自分が高校生の頃に夢見ていた大人って、
こんな感じじゃなかった気がします。
そんな時も自分を勇気づけてくれたのは、
桑田さん率いるサザンだったんです。
「こんな50代でいいんだろうか…」と
モヤモヤしている頃、
たまたまT Vで目にしたサザンのライブ。
画面の向こう側で、
桑田さんは真剣にふざけている。
それを見て、観客は大喜びしている。
ああ、自分もそれでいいのかも、
真剣にふざけるように頑張ればいいんだって
スーッと楽になったんですね。
50代を通り抜けたら、いよいよ60代の道です。
日本においては、
なんとなく「60歳」って節目だと思われていますよね。
でも、60という数字って、
今までの慣習からきているものであって、
人の数だけ、色んな60歳がいるわけです。
また、医療の進化のおかげで、
60歳を超えても、みんなすこぶる元気。
昔は、すべてが終わるような年齢と思っていたけど、
全然そんなことはありません。
諸先輩方だって頑張っているんだから、
自分も頑張らないといけない。
というわけで、
こちらでラジオを2023年に引退する!
と宣言していたけど、撤回します。
辞める辞める詐欺と言われても、
オオカミ中年と言われても、
耐え忍びます。
私って、ある意味、良い見本なのかもしれません。
大学に行かなかったけど、
仕事ではそれなりに頑張って
一定の成果をあげることができた見本、
という意味で。
自分で言うのもなんですけどね。
と言うか、誰も褒めてくれないので、
自分で自分を褒めております。
同級生たちは、
大学を出て、だいたい22歳から働き始めているから、
およそ38年ほどしか働いていません。
一方、私は18歳から働き始めて
既に勤続42年。
この先、高校の同級生たちが
どんどんリタイアしていっても、
私は自分次第で働けるわけで。
さらに10年間働いたら、
彼らの生涯年収は超えられる!
とも思いました。
…というか、
何と戦っているのでしょう、私は…。
よほど、大学進学した彼らを
ライバル視していたんだなぁと
今更ながらに気づいた次第で。
でも、それが結果的に自分にとっての
燃料になったとは思います。
彼らの存在がなかったら、
自分はここまで頑張れなかったかもしれない。
先日、また別の同級生からLINEが来ました。
「還暦だから集まろうよ」
という文面。
いいですね。
昔話に花を咲かせつつも、
将来のことを、みんなで話したいと思います。
人生はこれから。
過去だけじゃなく、未来の楽しい話をしないと。
あ、そうそう、
この前テレビを見ていたら、
永ちゃんのCMが流れてきました。
彼はC Mでこんなセリフを口にしているんです。
あれ、前にも同じ話をしましたっけ…?
脇坂肇