「話のわかる工務店」がわかる話

お客さまとの話。職人との話。取引先との話。地域の話。お金の話。家づくりの参考になればと思い、「話のわかる工務店」がこれまで語って来なかった話をご紹介します。これで脇坂工務店のことを少しでも知っていただければ幸いです。

脇坂肇

2021年7月21日 更新

#27

運命を変えたラジオ。

脇坂肇

彼らがデビューしたのは、私が高校一年生の時。
以来ずっと好きではあったものの、
すごく熱心なファンかと聞かれると、
自信を持ってそう言い切れるわけでもない。
そんなバンドがいます。
彼らの名はサザンオールスターズ。
でも、最近ふと気がついたのです。
私が銭函という海の街に会社をつくったのは、
サザンの影響なんじゃないかって。
私の人生は、
ずっとサザンの曲がBGMとして流れていて、
私の行動を決めていたように思えてきたのです。
生きていれば、知らず知らずのうちに、
誰かから大きな影響を受けることはあるものです。
逆もまたしかり。
誰かの運命を変えてしまうことだってある。
そんなお話をしようと思います。

Aさんという男性がいます。
道内の港町で暮らし、
ずっと技術者として働いていました。
しかし2020年の春、
コロナで世の中が右往左往している頃、
彼はたまたま耳にしたラジオによって、
人生に関わる大きな決断をします。
その時、ラジオから流れていた放送は
こんな感じでした。

「今日ご紹介するのはですね、
ちょっと変わりダネでして…。
札幌近郊の●●にある果樹園です。
それになんと住宅と倉庫をセットにして
販売します。
というのも、前オーナーさんが果樹園の
あとを継いでくれる人を探しているんです。
彼から技術指導を受けられるので、
農業未経験者でも大丈夫ですよ」

そうです、
DJブースでは脇坂肇という男が話しておりました。

ちょうどその頃Aさんは、
「この先の自分の人生、どうしよう」
と思っていたタイミングだったそうです。
そこで耳にしてしまった私の話。
まさにピンときたのでしょう。
放送後、すぐに会社へ問い合わせをもらいました。
Aさんは農家になることを決めたのです。

そこから、とんとん拍子で話は進み、
2020年6月に契約締結。
前オーナーさんからAさんへの
技術指導が始まりました。
単純にAさんが農業の初心者だから教える
という意味合いも当然ありますが、
むしろ農地売買に関わる事情によるものです。
専門的なことなので、さわりだけ説明しますが、
農地を譲り受ける行為は、
農家さんから農家さんへ、という流れが一般的。
さもなくば「農地転用」といって、
農地を地目変更して、
「農地ではない状態にしてから販売する」
という方法が取られます。

よって、今回のAさんのように、
これから農家になる!という人は、
農地を譲り受ける(購入する)場合、
まずは農家としての
認定を受ける必要があるんです。

当時、札幌から車で2時間ほどの街に
住んでいたAさん。
契約締結後は仕事の合間をぬって果樹園まで通い、
前オーナーさんから農家のイロハを
教わっていきました。

ちなみに前オーナーさんも、
もとはと言えば脱サラで果樹園を始められた方。
そのせいか、Aさんには事前に
敷地内の果樹の樹齢や本数、
さらには売り上げや利益などまで、
すべての情報を開示していました。
手塩にかけて育てた果実の木々。
ただ「売れればいいや」とは
きっと思っていなかったと思うんです。
かつての自分と同じく
農業に挑戦しようとするAさんを
全面的にバックアップしたいという
気持ちがあったのではないでしょうか。
今回は運良く、
そういう人同士をつなぐことができてラッキーでした。
このあたりは、
私たちが大事にしていることでもあります。
ただお金になるか、ならないか、
ではなくて建物や不動産を通して良いことに
つながるかどうかが肝心。
お金を積まれても、
やらないものはやらないです。
え、100億円を積む?
それは話が別ですね…。
詳しく話を聞きましょうか。

時は流れて2020年11月。
晴れて就農者認定を受けたAさん。
これで農地を取得できることになり、
2021年6月には決済が完了しました。
皆さん、既に忘れているかもしれませんが、
このAさんの物語の始まりは、
「今日ご紹介するのはですね、
ちょっと変わりダネでして…。
札幌近郊の●●にある果樹園です…」
というラジオから流れた私の声からですからね。
アピール、アピール。

それにしても、
なんとまあこんなことがあるなんて、という感じです。
思い切りAさんの運命を狂わせて…
じゃなかった、
変えてしまいました。
ラジオを通した縁とでもいうのでしょうか。
面白いものです。

実は、もう一つこの背景には縁がありました。
この果樹園の売り主、前オーナーさんは
もともと私と面識があったのです。
というのも、当社取引先の担当営業マンの
お父さんなんです。
しかも、ずっと私の番組のリスナーだったとか。
その縁で過去には、
ちょっとした自宅のリフォームも
やらせてもらっていました。
(まさに今回売りに出した自宅です)

なので、手塩にかけて育てた果樹園を
手放すことを決めた時、
「せっかくなので脇坂さんにお願いしたい」
と声をかけてもらっていたんですね。

そもそも農地を販売した経験が
私にはありませんでした。
かなり専門性が高い分野ですから。
前述の農地転用の手続きをしてから
販売したことは数回あれど、
農地を農地のまま販売することは初。
最初に話をもらった時には
「え、それって売れるのかな…」と
ネガティブな反応をしました。
が、かたや私の本能は、
「おもしろそう!」
と反応してしまっておりました。
ある意味、仲介するのは、
不動産というよりも、
「農業を始めるチャンス」なわけですから。
面白いに決まってます。
ついつい、普通ではやらないようなことを
やってみたくなる悪い(良い?)クセが
出てしまったのです。

あ、とは言え、
これからも農地販売をするわけではないです…。
やはり専門性が高くて手に負えないこともありますし。
今回は奇跡的にうまくいったケースだったわけで…。
変わったことに思わず食いついてしまう
私の習性を利用しないようにしてください。
フリではないです、フリでは。

ちなみに販売時には、
Aさん以外からも数件の問い合わせが
あったとスタッフから報告を受けています。
やはり、時代というか、
農業にチャレンジしてみたい、という方が
多いんですね。
あ、これも「農地系の仕事がしたい!」という
フリではないですよ…。

ここで最初のサザンの話に戻ります。
不思議と私は海のそばで暮らしたいという
願望が昔からあって、
それで銭函に会社を移しました。
これはやっぱりサザンの影響が大きいと
自己分析に至ったわけです。
DNAに彼らの歌が染み込んでいるから、
自然と判断基準が影響を受けたんだろうと。

実はサザンってデビュー当時は
コミックバンドと揶揄されていました。
年寄りたちが
「けしからん!
あいつらの変な歌詞のせいで、日本語が乱れる!」
なんて言われていたことを覚えています。
それが今や国民的ロックバンドですよ。

サザンと同じように、
といったらおこがましいのですが、
私の場合も、
銭函に会社を移転した当初は
周囲の反応は冷ややかなものでした。
「何もないでしょ」
と散々言われましたから。
それが自分のスタイルを貫いていたら、
こんなにも銭函が元気になってきた。
自分がいいと思ったら、やる。
ここらへんも地味に
サザンの影響なのかなと思っています。

今や私たちが関わっていない建築プロジェクトも
銭函で増えてきました。
タイムマシーンで移転当初に戻って、
色々言ってきた人たちに
「ほらほら!」
とドヤりたいとは少しも思っていませんよ、ええ。
「何もないでしょ」と言った人の名前も
7人くらいしか覚えていないですから。
フルネームで。

そんな冗談はともかく、
どんどん変わっていく街の姿を
目の当たりにできるのは建築屋冥利に尽きますね。
本当に。

また、バカバカしいことを全力でやるのも
サザンの魅力のひとつだと思っています。
「バカだなー」
とみんなが笑顔になって見ている感じ。
そうやって「バカにされる」ことは、
私の仕事の指針にもなっています。
まわりが苦笑いしながら
「バカだなー」と言われるくらい、
おもしろいことをやりたいんです。
それこそ、農地の販売なんて
同業者からすれば、
「なんでまた、
そんな面倒臭いことに手を出したんだ…」
って呆れられそうな仕事ですから。

不思議なものです。
私がサザンと出会ってなかったら。
銭函を選んでなかったら。
ラジオをやっていなかったら。
前オーナーさんと知り合っていなかったら。
Aさんが席を外してしまって、
私の話を聴いていなかったら。
きっとAさんの人生は
今のものとは違っていたでしょう。
細かな分かれ道が無数にあって、
どれを選ぶかで、展開がものすごく変わっていく。
月並みな表現ですが、
そうやって紡がれていく人生っていう物語は、
おもしろいもんだなとつくづく思います。

こんな経験をしてしまうと、
ちょっと背筋が伸びますね。
もう誰が聴いていて、
どう転がるかわからない時代です。
radikoだったら道外でも聴けますし。
これからはマジメに
ラジオで話をしないといけないな…。

脇坂肇