「話のわかる工務店」がわかる話

お客さまとの話。職人との話。取引先との話。地域の話。お金の話。家づくりの参考になればと思い、「話のわかる工務店」がこれまで語って来なかった話をご紹介します。これで脇坂工務店のことを少しでも知っていただければ幸いです。

脇坂肇

2019年11月22日 更新

#7

50歳デビュー。

脇坂肇

ラジオに出るようになったのは、
2013年のことです。
まさか50歳を過ぎて、
ラジオで話すようになるとは
夢にも思っていなかったですねぇ…。
今でこそ「元アナウンサーなんですか?」
と尋ねられるくらいに、
調子良く話している私ですが、
当初は敗北感に打ちひしがれておりました。
なんらなら、
「もうスタジオに行きたくない…」
と思うくらいまで、
トラウマになりかけたラジオ。
そのいきさつをお話したいと思います。

ラジオの出発点は、WEBでした。
どういうことかと言うと、
当時は住宅情報誌に広告を出していたものの、
雑誌が発売された後に
自社のホームページへのアクセス数を調べても、
どうにも伸びていなかったのです。
せっかくホームページを準備したからには、
できるだけ多くの人に見てもらいたい。
そこで広告代理店のFワラさんに
「雑誌以外で、ホームページに来てもらうために、
バナーみたいな誘導する広告ないですかねぇ」
と相談しました。
すると予想外の答えが。
「シャチョー、ラジオやってみまへんか?」
フジワラさんはコテコテの関西人なんです。
実際はこういう風に話してないかもしれませんが、
私の頭の中ではこう再現されるくらいに、
コテコテなのです。
あ、コテコテだけど敏腕です。

ラジオなんて全然頭の中になかったものの、
一度試してみるかっていうことで、
時報CMをやってみることに。
ちょっとパロディみたいなやつだったと思います。
それを3ヶ月間OAしてみると、
ホームページへのアクセスがあっさりと伸びたんです。

さらに、後に盟友となる
AIR-G’パーソナリティ森基誉則さんが
ホスト役を務めているコーナーに
私が1回だけゲスト出演したところ、
これまたアクセスが跳ね上がりました。
それを目の当たりにしてフジワラさんは、
「シャチョー、ラジオいけるんちゃいますか!」
と叫びました。
コテコテの関西人の彼の目が
¥マークになっていたのは、気のせいでしょうか。

そんな流れがあって、
ちょうど森さんが新番組を担当されるタイミングで、
脇坂工務店のコーナーはスタートしました。
ちなみに、月額ホニャララ万円だったので、
雑誌への出稿金額と比べてもほぼ同額。
それも決断の後押しになりました。
「ホニャララ万円」としているのは大人の事情です。
察してください。

当時50歳。
まさか、その年で
ラジオデビューを果たす人生になるとは
想像さえしていませんでした。

今だから告白しますが、
実は私、ラジオをナメていたんです。
もともと営業職なんで、
話すことは得意なほうだと思っており、
「10分程度の生放送なんて、チョロいな…」と。
今、タイムマシーンで戻れるなら、
自分の頭を思いっきり叩きますね。

初回放送日のことは、忘れもしません。
あの敗北感、無能感たるや…。
もちろん、話す内容はたくさん考えてメモして、
スタジオに持ち込みました。
が、いざ話し始めると、
まあ、まったく上手く話せない。
想像以上に緊張するし、
原稿にそって話そうにも感情が入らず、
棒読みになる。
あんなにアドリブ全開、ノリノリでやっている
現在の放送を聞いていらっしゃる方からすると、
想像できないですよね。
そんなヒドイ状態が2ヶ月くらい続きました。
「こんなこと、やるんじゃなかった…」
と後悔しつつ、フジワラさんに募る恨み。
「あのヤロー、変な仕事持ってきやがって…」
まあ、完全な逆恨みですけど。
あ、勢いで本名を書いてしまった。

そして、後にご本人から聞いたのですが、
パーソナリティの森さんも
「工務店の社長が話す番組なんて、
ネタ尽きそうだし、大丈夫かな…」
と最初は心配していたそうです。
実際のところネタはあったんです。
単に上手く喋れなかったんです…。
情けない…。

しかし、
そうやって私が苦悩の表情を浮かべつつ、
酒量も増えていた2ヶ月の間に、
変化が生まれました。
当初の狙いであったホームページへの
アクセス数が増え始めたんです。
もともとの月間アクセス数は800程度。
それが、ラジオ開始後1ヶ月経ったあたりで2000に。
それが3000になり、4000になり、
毎月あれよあれよという間に数字が伸びていったのです。
3年後には1万アクセスを突破しました。
大企業からすると大きな数字ではないかもしれませんが、
地域の工務店のWEBサイトとしては
悪くない数字だと思っています。

そして、私自身も
ラジオで話すコツを徐々に掴み始めました。
原稿どおりに読まなくてもいいことに
気づき始めたのです。
私が準備する原稿は、自分が話すパートと
森さんが話すパートを予め書き分けているんですが、
必ずしもその通りにしなくてもいいんだなと。
私が読まなかったところは森さんが補ってくれたり、
逆に森さんが喋るべきところを私が話したり。
ジャズのセッションのような感じというと
カッコ良過ぎでしょうか。
もちろん、ジャズやったことないですけど。

つまり、書いてあるものを読むのが苦手なんですね、私。
なので、ラジオを聴いている方から
たまに結婚式のスピーチとか頼まれますけど、
あれもダメなんですよ…。
完全アドリブでも良ければご依頼ください。
ただ、そのスタイルだと、
新郎新婦の名前を間違える可能性もあります。

番組が2年目を迎えるころには軌道にものり、
現在のような
「ちょっと頼りない、おもろいおっちゃん」
というキャラクターが出来上がっていました。
それを芸の世界では、芸風というのでしょう。
あくまでも芸風ですよ。
どこからともなく
「もともと、ちょっと頼りない、
おもろいおっちゃんなのでは…」
という声が聞こえてくる気がしますが、
芸風です。

ラジオを始めると、
想像以上に多くの人からリアクションがありました。
現在は、午前10時前にOAされていますが、
私たちの業界では、
ちょうど現場で大工さんの休憩時間にあたるんです。
だから業界内での知名度が上がったなぁと肌で感じつつ、
悪いことができなくなっております。

さらには、まったく知らない人ばかりの宴会に
参加した時でさえ、隣の席の人から
「え、あのラジオで話している脇坂さん?」
と言われたこともあります。
また、埼玉に住んでいる高校時代の同級生から
「おまえ、ラジオで話してるの?」
なんていう連絡があったことも。
なんでも、彼がとある会合に出席して、
隣の席の北海道の大手企業の方に、
「高校時代の同級生が脇坂っていって、
北海道にいるんですよねー」
と口にしたら、
「え、あのラジオで話してる脇坂さん?」と言われたり。
自分が知らないところで
自分のことが知られていくというのは、
少し不思議な気がしますね。
ますます悪いことができなくなっております。

あとは、先日AIR-G’さんのイベントで
初めてサインを求められました。
「いつも聴いてます!」と。
宅急便とか郵便局以外で
サインを求められることになるなんて!
まあ、その方は男性でしたけどね。
いや、いいんですよ、男性で…。

大袈裟に言うと、ラジオを始めて、人生変わりました。
新規のお客さまに限らず、
全然接点がない分野の方とか、
今まで出会わなかった人たちとラジオが縁で
つながれるってことが大きいです。
そこで思うのは、ラジオって私たちにとっての
「支店」みたいなものだなってことです。
当たり前ですが、私の体はひとつ。
普通なら、遠くでなかなか会えない方にも、
声で会いに行ける。
そして、素の自分を感じてもらえて、
会社の人柄もカラーも伝えられる。
(芸風と言いながら、「素の自分」と書いていますが)
AIR-G’さんの中に、
お店を開いている感覚とでも言いましょうか。
ラジオというメディアは
話し手に対して親近感がわきやすいですし、
こんなに自分にあうものはないな、と。
忌み嫌っていたラジオの良さを、
今は噛み締めています。
コテコテのFワラさん、
いい仕事を持ってきてくださって
ありがとうございます。
あの時、本気で逆ギレしなくて良かったです。

この10年以上にわたって
ある落語家さんと仲良くさせてもらっています。
札幌で独演会がある時なんかは、
前日に食事をご一緒するんですが、
その際、私が話していたくだらない話をもとに、
独演会での「マクラ」をつくるんです、あの人たち。
普通だったら見過ごしてしまうようなことを、
すくい上げて、昇華して、面白い話にしてしまう。
そんな姿勢を目の当たりにしているから、
私も普段からネタはないかと日々意識しています。
ラジオは私にとっての舞台だと思っていて、
上がる前は入念に準備する。
そんな心構えです。
まあ、ここだけ読むと、
何の商売をしている人間の文章かわからないですね。
私もラジオの原稿を準備しながら、
いいネタが浮かばない!とかやっている時に
ふと自分は何屋なのかわからなくなります。
たしか工務店だった気がします。

そんなこんなでラジオを続けてきました。
次はどんな言葉で自分を伝えようか。
それを考えることは、
苦しみでもあり、楽しみでもあるわけです。

では、またいつもの時間にラジオでお会いしましょう。

脇坂肇