「話のわかる工務店」がわかる話

お客さまとの話。職人との話。取引先との話。地域の話。お金の話。家づくりの参考になればと思い、「話のわかる工務店」がこれまで語って来なかった話をご紹介します。これで脇坂工務店のことを少しでも知っていただければ幸いです。

脇坂肇

2025年6月20日 更新

#74

社畜の働き方改革。

脇坂肇

先日、長嶋茂雄さんが亡くなりました。
彼をモデルに書かれたサザンの楽曲
「栄光の男」を聴きながら、
この原稿を書いています。
彼はカッコよかった。
だって、体調を崩した後も、
変わらずに人前に出てきていたんです。
ふつうのスターであれば、
「変わった姿を見られたくない」
と思いそうなもの。
それでも人前に出てきて、
ずっと長嶋茂雄、ずっとスーパースターでした。
さて、私は、
いつまでスーパースターでいられるのだろう…。
「は?スーパースター?」
という疑問は挟まないでください。

前にも言ったことあるかもしれませんが、
月に1回、倶知安ニセコに足を運んでいます。
目的のひとつは、
現地調査という名のマーケティング活動。
今、現地ではどんな動きがあるのか。
ネットで調べても出てこない生きた情報を
手に入れようと思ったら、
やはり直接足を運ぶに限ります。

そして、もう一つの大事な目的が、
社員たちとの交流です。
皆、家族から離れて倶知安ニセコで
単身赴任中の身。
何かと気苦労も多いでしょうから、
私が現地に赴いた夜は、慰安も兼ねて
居酒屋などで懇親会をひらくのです。

2025年5月のこと。
いつもどおり懇親会を開催し、
盛り上がって二次会に流れ込んだ時、
私と同世代の社員から
耳を疑うような話を聞きました。

「この前の休日、日曜日は倶知安を離れて、
札幌の自宅で過ごしていたんですよ。
ゆっくりしていたんですが、
ふと思い出したんです。
『あ、そういえば、あの仕事やっておかないと』
って。
それでノートパソコンを開いて、
カタカタやっていたんです。
まあ、いつものことです。
すると、たまたま帰省していた娘が
こんなこと言ってきたんですよ。
『お父さん!
そんな働き方、今は社畜って言うんだよ!』
社畜って…」

そりゃ、嘆きたくもなるよね、
娘からそんなことを言われたら…
と共感を顔で示しつつも、
私は内心、こう思っていました。

「社畜って何?」

お恥ずかしい話、不肖脇坂肇、
社畜という言葉をこの時初めて知ったのです。
私のように知らなかった人のために、
wikiで調べました。

【社畜(しゃちく)】
主に日本で、社員として勤めている会社に
飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、
サービス残業や転勤もいとわない奴隷(家畜)と
化した賃金労働者の状態を揶揄、
あるいは自嘲する言葉である。
「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、
「会社人間」や「企業戦士」などよりも、
外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。
(以上、Wikipediaより)

頑張る父を社畜呼ばわりするなんて、
ひどい…!

まあ、娘さんとしては、
家族から離れて頑張るお父さんのことを
心配しての一言だったのでしょう。
無関心だったら、面と向かって何も言わず、
きっと友達とかに
「うちのオヤジ、社畜でさぁ〜」
とか言いそう。
私も同年代の娘を持つ親。
そんなこと外で娘に言われていたとしたら、
泣いちゃうな…。

今の若い世代からしたら、
「日曜日に仕事をする=社畜」なのか…。
こういうジェネレーションギャップの話って、
つい昔の自分と比べてしまいがちです。
私たちの世代が娘さんと同じ20代だった頃。
そりゃもう激烈な競争社会でした。
バブル絶頂期からバブル終焉期なんて特に。
(社畜という言葉が生まれたのも、
1990年だったようですし)

みんな、猛烈に働いていました。
社会人になりたての若者なんて
1、2ヶ月休みなし、なんてザラ。
上司や先輩に、
「オレ、やる気あるっす!!!」
と、いかにファイティングスピリットを見せるか。
そこに心血を注いで、がむしゃらに働く。
「24時間働けますか〜♫」
なんていうCMソングが大流行したのも、
この頃です。

今の人から見たら、
ぜんぶコントみたいに見えるでしょうねぇ。
書いている私も、
「あれは幻だったのだろうか…」
と思ってしまうくらい、時代は変わりました。
厳密に言うと変わらざるを得なかったんです。

要因のひとつが人手不足です。

先日ある銀行の交流会で来賓挨拶をされていたのが、
専門学校の経営者でした。
その方は団塊世代の70代。
学校を経営されているだけあって、
日本の少子化について挨拶でふれていたのです。

「私たちの世代の時は、
1年間で200万人の子どもが生まれていました。
しかし、昨年2024年は
70万人に届かない数となっています」

それを聞いて気になった私。
自分の時代の出生数を調べてみたんです。
その方より一回り近く下の私の世代、
現在62歳(1962年生まれ)の世代でさえ、
出生数は年間165万人ほどありました。
そこから、
1973年の第2次ベビーブームの年間出生数、
約209万人を境に
日本で生まれる子どもの数は減る一方です。

それだけ減っていれば、
産業に影響が出てきています。
実際、人手不足で会社が成り立たなくなり、
「あの会社、廃業したらしいよ…」
なんて話も珍しくない今日このごろ。
人手が足りないから、
働き方改革を行い、生産性を高め、
かつ人材の離職を止めなければなりません。
だから、休日の労働が
今の時代からズレていることは十分理解できます。

ただ、私たち世代は、
「仕事は生きるために当然の義務」
みたいに思っているフシがあります。
人は働いてナンボ、みたいな。
この考えはどこから来たのかというと、
やっぱり、若い時に指導してくれた
先輩や上司の教えによるところが
大きいんでしょうねぇ。
当時、上から叩き込まれた
仕事の価値観や働き方が染み付いているのです。
もうどうしようもないくらいに。

だから、
「任された仕事を休日に思い出して、
自宅で取り組む」
なんてまったく悪いことだとは
思っていないんですよね…。
むしろ、いいこと。
かつては
「お、脇坂、休日出勤までして仕事か〜。
やる気あるな〜」
みたいに感心されたもんです。
「この社畜が!」
と娘さんに罵倒されるなんて微塵も思っていない。
(罵倒まではされてないか)

というか、
オンとオフの区別なく働きまくっている私は、
ゴリゴリの社畜なのかもしれません。
経営者だけど社畜。
経営者の脇坂が飼っている、
働く社畜ワキザカ、みたいなイメージです。
だから、社畜という言葉を
今まで知らなかったのかもしれません。
家畜は自分のことを
家畜だと思っていないはずですから…。
飼われているブタが自らのことを、
「自分は家畜だなぁ…ブヒ」
と思っていないように…。

ただ、ですよ。
私、社畜にならざるを得ないんです。
ブヒ。

月曜日から金曜日までの平日は、
実務に追われまくっております。
建築打ち合わせ、取引先と商談、銀行との折衝、
不動産問い合わせの対応などなど。
やらなければならないことがありまくりです。
本当に落ち着いて考えごとをするとか、
ラジオ原稿を書くとか、
それこそ、この「わかる話」の文章を書くとか、
すべて土曜日にやらざるを得ません。

結果、私は日曜日以外休んでいませんし、
なんなら日曜日もたまに働きます。
社員の手本にならなければいけない経営者としても、
健康管理をしなければならない62歳の男としても、
これではいけないことはわかっています。
ただ、習慣なんですよね…。
もはや、そういうカラダになっている。
そして、苦痛ってわけではないんですよね。
締切に追われてヒーヒー言いながらも、
好きでやっていると胸をはって言えます。

仕事量が多すぎることは自覚しています。
ただ、人を一人雇うほどでもない仕事量ですし、
内容としても、
人に微妙に振れないものが多く、悩ましいところ。
とはいえ、頭や体力の衰えは確実にきている…。
最近、特に不安なのは、
「何度も同じ話をするおじさん」
になっていないだろうか…ということです。
同じ話を聞いた若者たちが
「またかよ…」
と内心思っていることを隠して、
「脇坂さん、マジっすか!ウケる〜」
というリアクションをしていないだろうか…。

せめてもの防止策として、
「前にも言ったことあるかもしれませんが…」
って枕詞をつけてから、
話をするようになっています。
(本稿の最初の一文がその証拠です)

とはいえ、同じ話をしていたとして、
「それ、前も同じ話していたっすよ!」
と若者にストレートに指摘されるのは、
それはそれで傷つくな…。

先日、
3歳上の経営者の方と久しぶりにお会いして、
すすきので会食をしました。
その佐藤さん(仮名)は
本州のとある街で土木関係の会社を経営してきた方。
北海道にも自宅があって、本州と行き来しながら、
いわゆるデュアルライフを謳歌されています。
かなり昔から私のラジオ番組を聴いてくれている
リスナーの一人でもあります。

正直な話、
私の年齢(62歳)になってくると、
上の世代の方から
刺激を受けることって減ってくるんですよね…。
ただ、佐藤さんは話が面白くて、
なるほど!
と度々思わせてくれる先輩経営者なんです。

その会食の席で、
私は佐藤さんにこんな相談をしました。

「最近、仕事量が多いので、
少しずつ減らしていこうと思っているんですよ。
ラジオだって、毎週毎週原稿考えるのも
かなりエネルギーを使うし、
来年あたりでやめようかな…
と考えているんですよね…」

すると、佐藤さんはなんの迷いもなく、
スパッとこう言ったのです。

「あなたが
今までつくりあげてきた会社なんだから、
仕事量が多いのは仕方ないのでは?」

続けて、
「とにかく、
社員に任せられる仕事は任せてしまって、
ラジオだけは絶対やめてはいけない!」
と強く言われたのです。
あれ…?
ひょっとして、この人ラジオ局のまわしもの…?
と思うくらいの勢いでした。

さらに、翌日お礼のLINEをしたところ、
佐藤さんから、こんな返信が…。
原文をご紹介します。

「ラジオ出演は御社の看板の一部であると共に、
創業者のアイデンティティを
世間に発信し続けると共に、
脇坂さんの取り巻きにとってステイタスと、
私含めた友人・知人にとって、
脇坂肇を感じ続けることが出来る
重要なことだと思います」

そこまで思われていたんだな…
というのがショックというか、
ことの重大さを改めて知ったというか。
ラジオ出演って、私にとって、
そういう存在なんだと再確認した次第です。
と同時に、
佐藤さん、ラジオ局に弱みを握られていないよね…?
という疑念が一瞬脳裏をよぎりました。
そんなにラジオ出演を勧めるなんて…。

なるほど、ラジオは手放さないほうが良さそうだ。
でも、仕事量は多すぎて、
若干アップアップになっているという
動かしがたい事実もある…。

で、なにが言いたいのかというと…。
この「わかる話」です。

2019年4月から毎月1回、書いてきました。
特段、更新頻度を
決めていたわけではなかったのですが、
ネタもあれこれあったので、
自然のなりゆきで、このペースになったのです。

継続は力なり、
なのか、ずっとやっていると、
徐々に「いつも読んでますよ!」
と言ってもらえることも増えてきました。
初対面の方も読んでくれています。
これから会おうとしている社長が
どんな人物か気になるでしょうから、
ちょっと読んでみるか、ってなるんでしょうね。

最近、銭函の不動産のことでやりとりしている
本州のお客さんからは、
「読んだおかげで、
銭函のリアルな状況が理解できました!」
と言ってもらえました。
(この「銭函の熱狂。」を読まれたのでしょう)

とはいえ、前述の通り、
これを書く、いや、書く以前に
ネタを考えるだけでも、
かなりのエネルギーを消耗します。
毎月執筆が私の社畜化を推し進めていることは、
疑いようもありません。

そこで決めました。
この「わかる話」の更新頻度を
少し落とすことを検討しよう、と。
2ヶ月に1回更新、とか、
不定期更新にするとか、です。
すなわち、
もし来月記事がアップされなくなってもご心配なく、
ということです。
ちゃんと生きていますから、という前フリですよ…。

私自身の働き方改革を、
そろそろ始めなければなりません。
周囲に求められるうちは働き続けたい。
長嶋茂雄のように、
ずっとみんなのスーパースターであるために、
ちゃんと休みをとる必要があるのです。
(ツッコミは不要です)

あ、
前にも言ったことあるかもしれませんが、
まだ引退宣言はしませんよ。
キャンディーズよろしく、
「普通の男の子に戻りたい」
とは思っていません。
一生スーパースターですから…!

はい、ここでも、
「前にも言ったことあるかもしれませんが」
予防線を張りました。
キャンディーズの引退宣言なんて、
ベタベタな昭和ネタなんて、
絶対前に話したことあるな…と
不安が頭をよぎったので。

が、よくよく過去の原稿を調べてみたら、
一度も話していないことが
先ほど判明しました…。
おかしいな…。

記憶力がちゃんとある
普通の男の子に戻りたいです。
スーパースターじゃなくていいから…。

脇坂肇